江戸野菜の代表としてしばしば取り上げられる「小松菜」は、ツケナの一種です。
ツケナはアブラナ科アブラナ属に属する野菜のうち、漬物や煮物に使われる非結球の葉菜類の総称です。

ツケナには、小松菜のほか、野沢菜、水菜、チンゲンサイなどがあります。
アブラナはヨーロッパ東部の亜寒帯地方に野生していますが、野菜として発達したのは中国で、ツケナの原産地は中国と言われています。
我が国にツケナが渡来したのは、奈良時代以前の古い時代で中国から渡来し、各地で多くの品種が成立しました。
京都の水菜、長野の野沢菜、広島の広島菜などが有名です。
小松菜は、江戸を代表する野菜で、守貞謾稿には、江戸のお正月の雑煮には小松菜を入れると書いてあります。
小松菜は、在来のカブから分化したものと考えられていて、江戸時代初期に現在の東京都江戸川区小松川付近で品種改良して栽培され始めたツケナだといわれます。

この時に、香取神社神主の亀井和泉守が、地元で採れた青菜を入れた餅のすまし汁を吉宗に差し上げたところ、吉宗はたいそう気に入り、土地の名をとって「小松菜」と名付けたと言われています。
この由来を書いた「小松菜ゆかりの里碑」が新小岩の香取神社に設置されています。(右上写真)
また、江戸初期”葛西菜”と呼ばれていた菜を改良したのが小松菜とも言われていて、このことは「新編武蔵風土記」に書かれているそうです。
この葛西菜を小松菜に改良したのが椀屋久兵衛だとも言われています。
椀屋久兵衛とは、大坂の豪商で、遊郭で遊びすぎて身を持ち崩した人物で、井原西鶴の浮世草子『椀久一世の物語』にも描かれています。
小松菜は、現在、東京都、埼玉県、神奈川県、千葉県といった東京近郊や大阪府・京都府、兵庫県・福岡県などの日本各地の大都市近郊で盛んに生産されています。
しかし、最近、市場に出回っている小松菜の大部分は、中国野菜と掛けあわせて作られた交配種であり、江戸時代に栽培されていたものとは、異なったものだそうです。
江戸時代から栽培されているものは「伝統小松菜」と呼ばれていて、「後関晩生」という品種と「城南小松菜」が、「伝統小松菜」として認められています。
ちなみに最上段の小松菜の写真は「伝統小松菜」で「江戸東京野菜」図鑑編に掲載されている小松菜です。