東京地方は35度という猛暑の中の散歩でしたので、歩く前から熱中症を大変心配しましたが、参加者全員の皆さんが、体調変化なく、無事最後まで、歩くことができました。
暑い中、ご参加いただいた皆さん、本当お疲れ様でした。全員が熱中症にかからず無事散歩を終了することができて、ほっとしています。
ありがとうございました。
さて、それでは、後楽園でのスナップ写真をごらんいただきたいと思います。
小石川後楽園は、水戸藩徳川家の初代藩主の徳川頼房が、寛永6年(1629)に作り、2代藩主の徳川光圀が完成させた江戸期の代表的な大名庭園です。関東では、後楽園とは、この小石川後楽園を指しますが、岡山にも後楽園があることから、正しくは小石川後楽園と呼びます。
後楽園という名前ですが、四文字熟語に「先憂後楽」という言葉ありますが、この「先憂後楽」から採られた名前です。
こうした説明が書かれた説明板が正門前にかかげられています。
右最上段写真は、正門前の説明板を読む参加者の皆さんです。
中国の名勝地「廬山」にちなみ、京都の清水寺一帯が小廬山と言われています。大堰川上流の景色が、京都の清水寺に似ていることから、寛永17年に林羅山が「小廬山」と名づけました。
現在は、オカメザサに覆われている丘が小廬山と呼ばれています。
写真は、小廬山の山頂で一休みする皆さんです。
後楽園の特徴の一つは中国様式が取り入れられていることです。その代表が「円月橋」です。
円月橋は、中国人の朱舜水の指図により、駒橋という石工が造ったものです。
この橋は、中国の山水画にある橋柱のない橋です。
橋柱がないため、橋が水に写った様が、満月のようであるので、円月橋と名づけられています。
後楽園を完成させた徳川光圀に関係するものが数多く残されています。
徳川光圀が7歳の時初めて3代将軍家光に謁見した折、さまざまな品物を見せて、その中から好きなものを取ってよいといわれて「文昌星」の像を取り上げたため、家光は大変感心したといわれています。「文昌星」というは文学の神様です。
後に、光圀は、「文昌星」を思い起こし、八卦堂を造って安置したといわれています。
この八卦堂も関東大震災の時に焼失してしまいました。
写真は、八卦堂跡を見つめる参加者の皆さんです。
ともかく暑い一日でした。そのため、水分補給をしっかりし、塩飴も舐めながらの散策でした。
後楽園は、緑が多いので、説明は木陰で行い、休憩を数多くとりながら説明をしました。
右写真は、後楽園を代表する景色である大泉水のまえで、一休みする参加者の皆さんです。
写真奥にこれまた後楽園を代表する「徳大寺石が小さく写っています。
そして、最後は、飲み会です。
さすが、昨日は暑いので、散策は4時過ぎに終了し、4時30分には飲み始めました。
飲み物がおいしかったこと。最高でした。
あっという間の2時間が過ぎて、最後に記念撮影です。
飲み終わって。お店を出たら、まだ明るい時間帯でした。
皆さん、暑い中、本当にお疲れさんでした。


