「うなぎや」は大忙しですね。先日土曜日に江戸川橋の老舗「はし本」でうなぎを食べようと思い、11時30分の開店と同時に店に入りましたが、予約席で満席となっていて、待つと何時間かかるかわからないということで諦めました。
今日、「うなぎ」を食べられる方は幸せですね。
今日は「江戸前」について書いていきます。
現代では、 「江戸前」 というと、寿司をまず思い浮かべますが、もともと江戸前とは鰻の代名詞でした。
江戸前とは、江戸城の前面の海や河川でとれた魚を意味しますが、使われたのは享保年間(1716~1735年)以降のようです。
そして、うなぎをさすようになったのは宝暦年間(1751~1763年)のころからのようです。
宝暦10年の川柳評万句合に 「江戸前に のたをうたせる 女あり」 という句があります。
このころ、女の鰻さきがいたことを詠んでいますが、この句のなかに「江戸前」とあるのが鰻のことです。
三田村鳶魚は、「江戸の食生活」の中で、
「この江戸前という言葉が、宝暦以来うなぎのために繰り返されている。江戸前という言葉は、鰻によって出来たのかと思われるぐらいであります」 と述べています。
それでは、「江戸前」とはどの地域をさすかについてです。
これも諸説ありますが、「日本橋魚市場沿革紀要」に
「江戸前と唱へ候場所は、西の方、武州・品川州崎一番の棒杭と申場所、羽根田海より江戸前海へ入口に御座候。
東の方武州深川州崎松棒杭と申場所、下総海より江戸へ入口に御座候。
右壱番杭と松棒杭を見切と致し、夫より内を江戸海と古来より唱へ来り候」 とあります。
これによれば、品川の州崎から深川の州崎の内が江戸前の海ということになり、現在よりかなり狭い範囲になります。
このように「うなぎ」は別名で「江戸前」と呼ばれるようになったため
江戸前の風を団扇で叩き出し
という川柳も詠まれるようになりました。
一方、江戸以外で獲れた「うなぎ」は、「旅鰻」と呼ばれました。
そこで次のような川柳も詠まれました。
丑の日に籠でのり込む旅うなぎ
江戸っ子は、「旅うなぎ」は下等だと考えていたようですが、 現在、私達が食べるうなぎは、ほとんど「旅うなぎ」になってしまいました。
そんな「うなぎ」も、「ニホンウナギ」が絶滅危惧種に指定されてしまった中では、安い値段では食べられなくなってしまう時代が、すぐそこまで近づいているのかもしれません。
今のうちに「うなぎ」を食べておきましょう!!