てんぷらの語源は、諸説があり定説というのはないようです。
てんぷらは、安土桃山時代の頃にポルトガル人により長崎に将来されたものと言われています。 その語源にも次のような諸説があります。
1、ポルトガル語の「テンペロ tempero」説
「テンペロ tempero 」とは、ポルトガル語で「調理、調味料」を意味する言葉です。
2、スペイン語の「テンプロ templo」説
獣鳥肉を用いない精進料理であるから、スペイン語の寺院を意味するテンプロ templo が転じててんぷらになったという説
3、ポルトガル語の「テンポラス temporas」説
「斎日」には、肉食が禁じられ魚料理を食べたことから、「斎日」を意味するポルトガル語のテンポラス temporas からきたのだという説
てんぷらの語源は諸説あるようですが、「天麩羅」という漢字で書き表されるようになった由来については有名な話が残っています。
それは、「天麩羅」という漢字を考案したのは山東京伝と言われています。
山東京伝が考えたという話は、岩波文庫の「近世風俗史(守貞謾稿)」では第5の105ページに載っています。
その内容を概略書くと次のようです。
天明の頃、上方から浪人風の利助という男が江戸に芸妓と駆け落ちしてきました。
利助は大阪には魚を油で揚げた「つけあげ」というものがあるが江戸では見当たらないので夜店でこれをやってみたいと考えました。そして、開店するにあたり、山東京伝に相談しました。
山東京伝が試食してみるとなかなかうまいので賛成しました。
この時に、利助から何か良い名前をつけてほしいと頼まれました。
そこで、山東京伝は、「天麩羅」という漢字を与えました。
山東京伝は、利助が天竺浪人つまり住所不定の浪人だというところから「天」、「麩」は衣の小麦粉、「羅」は衣が羅(うすぎぬ)のようなところから「天麩羅」と付けたと言います。
なお、 守貞謾稿には、魚介類を揚げたものが、てんぷらで、野菜を揚げたものはてんぷらとは言わないで、「あげもの」というと次のように書いてあります。
『京坂の天ぷらは半平の油揚げをいう。江戸の天麩羅は、アナゴ・芝えび・こはだ・貝の柱・するめ。右の類、惣じて魚類に温沌粉をゆるくときて、ころもとなし、しかる後に油揚げにしたるをいう。蔬菜の油揚げは江戸にてもてんぷらとはいはず、「あげもの」というなり。』