今回の問題は、毎日文化センター主催の「江戸の食文化講座」の第2回目講座で出題したものと同じ内容です。
受講生の皆さんとは当日中に答え合せまでしましたが、9問正解が1人、8問正解が5人、7問正解が3人という結果でした。
予告なしで出題したので、受講生の皆さんはだいぶ戸惑っていたようですが、その結果としては、まずまずの結果ではないでしょうか。
なお、多くの方が5分程度で解き終わっていました。
それでは、正解と解説をアップします。
1、 ④日の出前約30分
明け六つ・暮れ六つの時刻は、それぞれ、日の出時、日没時と思っている人が多いと思いますが、明け六つ・暮れ六つともに、人の顔が誰か見分けられる状態の時刻ということになっています。そのため、明け六つが日の出前約30分、暮れ六つが日没後約30分とされています。
参照「江戸の食文化」P32
2、 ②玲瓏豆腐
「豆腐百珍」は、今年の江戸検では、要注意事項でしょう。
誰が作り、何年に刊行されたかなどは、必ず覚えておきましょう。
そして、そこに載っている代表的な豆腐料理も覚えておくとよいと思います。
玲瓏豆腐(こおりどうふ)は、ふつうは練り辛子と酢醤油で食べますが、黒蜜をかけるとデザートとなります。
右写真は、東京家政学院大学で復元したものです。
参照「江戸の食文化」P67
3、 ③中年寄
この問題は、「江戸の食文化」にはどこにも書かれていないので、難しかったと思います。
御台所の食事は、御広敷御膳所で調理され、そこで一度、毒味された後、奥御膳所に送られ、そこで、中年寄により再度行われました。
御台所の食事は、通常十人前が作られます。このうち、二人前が毒味に使用され、御台所分として、御替り分も含めて二人前が食べられます。
残りの六人前は、奥女中たちで食べたようです。
4、 ①料理物語
この問題も、「江戸の食文化」には書かれていませんので、これも正解率は低いのでなないでしょうか。
江戸時代に、肉食禁忌が、最高潮に達したのは、5代将軍綱吉の時代ですが、その前の寛永20年に出版された「料理物語」には、第5獣の部があり、次のような調理方法が記載されています。
鹿→「汁、貝焼き、煎り焼き、干してもよい」、狸→「汁、田楽」、猪→「汁、田楽、菓子」、莵(うさぎ)右「汁、煎り焼き」、川うそ→「貝焼き、吸い物」、熊→「吸い物、田楽」、犬→「吸い物、貝焼き」
5、 ④蛍飯
「名飯部類」も重要事項の一つですので、しっかり覚えておきましょう。
「名飯部類」は、149品目の米飯料理が書かれています。享和2年に出版されていて、天明2年に発行された「豆腐百珍」の後に発行されています。
そのため「百珍物」の一つとも考えられています。
「名飯部類」に掲載されている代表的な米飯料理として「江戸の食文化」に書かれている料理内容は覚えておいた方がよいでしょう。
参照「江戸の食文化」P63
6、 ②鮎
各地の郷土料理のすしは、各地の名物となって、将軍家に献上されているものもありました。和歌山藩からは、鮎の押ずしである「つるべずし」は 文化3年の場合、4月と5月に献上されていました。
「つるべずし」という名前は、すしが入れられて容器が「つるべ」に似ているため名付けられました。
吉野の「つるべずし」は、歌舞伎の「義経千本桜」にも出てくることで有名です。
参照「江戸の食文化」P77
7、 ①水6杯、酒1杯、醤油1杯
「八杯豆腐」も重要事項です。どんな料理なのかは是非覚えておいてください。
また、「八杯豆腐」が大関として載っている番付「日々徳用倹約料理角力取組」に載っている大関関脇小結の料理も覚えておくとよいでしょう。
ちなみに大関は「八杯豆腐」「目刺しいわし」、関脇が「昆布油揚」「むき身切り干し」、小結が「きんぴら牛蒡」「芝えび乾煎り(からいり)」です。
参照「江戸の食文化」P88
8、 ②鯛
「博覧強記」には、将軍の食膳にしばしば「鱚(きす)」が上がったと書かれていますので、「鱚」と思った人もいると思いますが、「江戸の食文化」においては、11代将軍家斉は「鯛」が大好きだったと書いてありますので、ご注意ください。
参照「江戸の食文化」P33
9、 ③大槻玄沢
江戸の蘭学者たちが開いた「新元会」は、食文化の分野より、「蘭学」の分野で取り上げられることの方が多い項目です。
大槻玄沢は、長崎に留学した際、新元会について知ったようですし、その時だされる料理についても知識を得たようです。
参照「江戸の食文化」 P79
10、 ③文政年間
今回の模擬試験は、前述したように、「江戸の食文化講座」で出題したものです。
後日、受講生のAさんから「博覧強記」では、「文化の初めごろ深川本所あたりの鮨屋、松の鮨や花屋与兵衛鮨によって握り鮨が考案されて大流行し、またたく間に押し鮨を席巻した」とあり、「江戸の食文化」には文政年間と書かれているが、どちらが正しいのかというご質問がありました。
そこで、岩波新書「すしの歴史を訪ねる」日比野光敏著、岩波現代文庫「すしの本」篠田統著、講談社学術文庫「すし物語」宮尾しげを著を調べました。
それぞれ、細かい年の違いはありますが、文政年間に握りずしが考案されたと書かれています。
従って、「握りすし」は文政年間に考案されたというのが有力説と考えられます。
しかし、「博覧強記」には文化と書かれていて、「江戸の食文化」では、文政と書かれていて、二つのテキストの見解が違っていては、出題する側としては、出題しにくい問題です。
そのため、江戸検本番でも、この問題は出題されないのではないでしょうか。