ソバは、タデ科ソバ属の一年草です。
ソバの原産地は、中国雲南省とする説が有力となっています。
元正天皇の養老7年(722)に救荒作物として栽培が勧められたことが「続日本記」に記されていることから、日本へは、奈良時代以前にソバは伝来していたと推測されています。
古代には、「そば」は「そばむぎ」、「くろむぎ」と呼ばれました。
『本草和名』には「曾波牟岐(そばむぎ)」、『和名類聚抄』には「久呂無木(くろむぎ)」と書かれています。ソバの実に稜角(物のかど)があることから「そばむぎ」と呼ばれたと考えられています。「そば」とは稜角(物のかど)を意味する古語です。
右写真が、ソバも実ですが、稜角があるのがわかりますでしょうか?
なお、ソバの花は、右下のような綺麗な花です。
また、実の皮が黒くなっていることから「くろむぎ」と呼ばれたと考えられます。
「そばむぎ」が単に「そば」と呼ばれるようになったのは、室町時代後期と考えられています。
「蕎麦」というと、現在、私達は、蕎麦麺を想像しますが、麺状をした蕎麦を食べるようになったのは江戸時代からで、そばは、奈良時代~室町時代の長い間は、主に「そばがき」として食べられていました。現在のような蕎麦は「そばきり」と呼ばれていました。
「そばきり」という言葉が、文献上、初めてあらわれたのは、天正2年(1574)の 木曽の定勝寺の仏殿修理の寄進記録の中です。
この「定勝寺文書」が発見されるまでは、最古の記録とされていたのが「慈性日記」です。
「慈性日記」は近江多賀神社の尊勝院の僧慈性の日記で、慶長19年(1614)2月3日の記録として「(江戸の常明寺で)ソバキリ振舞被申也」と書かれています。
寛永20年に刊行された「料理物語」は、そばきりの製法が書かれている最古の書物です。
それによると、「つなぎ」については、「飯のとり湯でこねるとよい。あるいは、ぬるま湯でもよい。豆腐をすり水でこねることもある。」と書かれています。
現在では、「つなぎ」は小麦粉が使用されていますが、江戸時代初期には、小麦粉はしようされていなかったようです。
また、「汁は、うどんと同じようにつくる。」とだけ書かれています。
そこで、うどんの項を見ると、「汁は煮貫、あるいは垂れ味噌がよい」と書かれています。
「料理物語」には、「生垂れ、垂れ味噌、煮貫」にも作り方が書かれています。
それによると、生垂はみそ1升を水3升でといて袋に入れ,したたり落ちる液汁をとったもの,垂みそはみそ1升に水3升5合を入れて煮たて,3升ほどに煮詰めて生垂同様にこしとったもの,煮貫は生垂に鰹節を入れ,煮たててこしとったものとされています。
江戸時代初期には、まだ醤油は開発されていませんでしたので、「煮貫」や「垂れ味噌」で食べたようです。
その後に続いて、「それに大根の汁を加えてもよい。」と書かれています。
「料理物語」には、大根おろし汁を追加するとだけ書いてありますが、江戸時代には、辛味大根のおろし汁だけでそばを食べたこともあったようです。
辛味大根で食べる場合は「辛味そば」と呼ばれたようです。
「辛味そば」は最近また注目を浴びてきているそうです。

