8月は2回アップしたいと約束していましたので、約束を果たせることになりました。
とはいっても、この問題は、「江戸の食文化講座」で出題したものと同問題です。
今回は、原田信男先生の「江戸の食文化」の第3章から出題しています。
わからない問題は、「江戸の食文化」を確認しながらチャレンジしてみてください。
正解は月曜日にアップします。
1、江戸城に魚介を上納し、内湾での漁業特権を与えられていたのが「御菜八ケ浦」です。
「御菜八ケ浦」は、その名前の通り、8つの漁師浦で構成されていました。
次の選択肢の中には、「御菜八ケ浦」に含まれない漁師浦がありますが、それはどれでしょうか?
①大森浦 ②新宿浦 ③金杉浦 ④生麦浦
2、江戸時代、主に多摩地方で栽培された野菜に「のらぼう」があります。
この「のらぼう」は、現在ではあまり聞くことのない野菜名ですが、「のらぼう」は次のうちのどの江戸野菜に似ている野菜でしょうか?
①千住ネギ ②小松菜 ③成子うり ④滝野川ごぼう
3、 江戸では、いろいろな棒手振りが商売をしていました。その棒手振りの様子を守貞謾稿は詳しく書いています。
江戸で、瓜・茄子等一種類の野菜を売り歩く商売は、「守貞謾稿」ではなんと呼んでいるでしょうか?
①八百屋 ②前栽(せんざい)売り ③菜屋(さいや) ④青物売り
4、文化12年(1815年)10月21日、千住の中屋六衛門の六十のお祝いとして催された「千住酒合戦」では、厳島杯、鎌倉杯、江島杯、万寿無量杯、緑毛亀杯、丹頂鶴杯という6種類の大杯が用いられました。
酒合戦の参加者の中には、この大杯をすべて飲み干した人もいました。
それでは、大杯すべてを飲み干した場合、どれだけの酒を飲んだことになるでしょうか?
次の中から選びなさい。
①5升5合 ②10升4合 ③9升2合 ④7升3合
5、日本橋から宇田川橋までの街並みの様子を描いた「煕代勝覧」は、12メートルにもおよぶ絵巻物で、現在ベルリン国立アジア美術館が所蔵しています。
この絵巻物には、88軒の問屋や店、1671人の人物、犬20匹などが生き生きと描かれています。
それでは、この「煕代勝覧」は、いつの時代の江戸の風俗を描いたものでしょうか?
①嘉永年間 ②天保年間 ③天明年間 ④文化年間
6、米の流通経路には、いくつかの問屋・小売りがありましたが、消費者向けに玄米を精米して販売していたものは次のうちどれでしょうか?
①札差 ②関東米穀三組問屋 ③搗米屋 ④脇店八ヵ所米屋
7、「灘三郷」とよばれた上灘・下灘・今津で製造された酒は宝暦4年(1754)以降、急速に発展しました。
「江戸の食文化」では、灘酒の発展の要因が二つ挙げられています。一つは寒造りの徹底です。それでは、もう一つの要因は、次のうちどれでしょうか?
①精米技術の向上 ②段掛けでの製造 ③諸白づくり ④火入れの実施
8、日本橋魚市場の中心となったのは四組問屋ですが、これは四つの町の問屋仲間で形成されていました。
それでは、四組問屋を形成した町の組み合せで正しいものは次のうちのどれでしょうか
*右写真は「日本橋魚市場発祥之地の碑」です。
①室町、本船町、本小田原町、按針町
②本小田原町、本船町、本船町横店、按針町
③本船町、本小田原町、按針町、長浜町
④按針町、長浜町、本船町、本船町横店
9、天保年間には、宇治で考案された「玉露」が売り出され高級煎茶として広まっていきました。
それでは、「玉露」を考案した人は、次のうち誰でしょうか
①川上不白 ②永谷宗円 ③山本嘉兵衛 ④山本徳治郎
10、水上輸送は、大量の物資を運ぶ重要な手段であり、江戸時代には格段の進歩を遂げました。江戸時代初期から、いろいろな航路が開発整備されてきましたが、元禄7年以降、江戸の問屋連合体である十組問屋が差配していた航路は、次のうちどれでしょうか
①樽廻船 ②北前船 ③菱垣廻船 ④東廻り航路