滝野川ゴボウ(江戸野菜① 江戸の食文化59)
滝野川ニンジン(江戸野菜② 江戸の食文化60)
小松菜(江戸野菜③ 江戸の食文化61)
千住ねぎ(江戸野菜④ 江戸の食文化62)
谷中ショウガ(江戸野菜⑤ 江戸の食文化63)
しかし、江戸野菜の代表ともいえる「練馬大根」については、、まだ書いていませんでした。
それは、練馬大根の本場である練馬区の「石神井ふるさと文化館」での調べ事が済んでいなかったからです。
8月の初めに「石神井ふるさと文化館」に行って、練馬大根について聞いてきました。
そこで、もう一月も経っていますが、「練馬大根」について書きたいと思います。
今日は、まず大根一般の歴史について書きます。
大根は、アブラナ科ダイコン属の越年草で、原産地は、原産地は地中海地方や中東と言われています。
日本には弥生時代には伝わったとされており、大根の記録は、「古事記」や「日本書紀」にも残されています。
古事記には「於朋泥」と書かれていて「おほね」と読んでいます。
「おほね」とは根が大きいという意味です。
後に「おほね」に「大根」の漢字があてられ、それが「だいこん」と読まれるようになりました。
その後も、平安時代中期の「和名類聚抄」や「延喜式巻」にも書かれています。
また、有名な「徒然草」にも大根に絡むお話が載っています。
大根は、日本各地で栽培されてきました。
主な品種として、桜島大根、宮重大根、守口大根、聖護院大根などがあります。
江戸時代になると、江戸近郊で栽培されるようになり、特に練馬地区で栽培される練馬大根が有名となりました。
練馬大根の名前が初めて書物に登場するのは、天和3年(1683)の戸田茂睡の「紫のひともと」だそうです。
明日は、練馬大根の栽培の由来について書きます。