私は、先週、旅行してきましたので、今週は家で本を読んだりしてのんびりしましたが、パソコンの具合が悪くなって、最終日は、その復元に追われてしまいました。
無事、パソコンの具合も回復しましたが、本日朝アップする予定であった模擬試験の出題が遅れてしまいました。
今回の模擬試験も、「江戸の食文化講座」で出題した問題です。
今回の問題も原田信男編『江戸の食文化』からの出題です。
もう、多くの受験者の皆さんが『江戸の食文化』を読まれていると思いますので、高得点を目指して挑戦してみてください。
回答は水曜日にアップします。
1、てんぷらの語源には諸説あって、明確とはなっていません。語源説の一つにポルトガル語の「テンペロ」に由来するという説があります。
それでは、この「テンペロ」は、日本語ではなんという意味でしょうか?
①寺院 ②祭日 ③調理 ④油
2、幕府は、初物珍重による物価高騰を防ぐため、魚・野菜などの売出時期を指定する御触書を出しています。
それでは、「江戸の食文化」では、あゆの売出時期は、いつからとなっているでしょうか
①4月 ②5月 ③6月 ④7月
3、蕎麦切が考案された時期は明確ではありませんが、江戸で蕎麦切が普及していることが明確に記録されているのは、いつの頃の書物か次の中から選びなさい。
①天正年間 ②慶長年間 ③元和年間 ④寛永年間
4、山東京山の「蜘蛛の糸巻」にも載っていて、「望汰欄(ぼうだらん)」という別名でも有名な料亭の名前はなんというでしょうか
①葛西太郎 ②平清 ③二軒茶屋 ④升屋
5、天保の改革の際に、200人以上のすし職人が手鎖に処されていますが、その理由はなんだったでしょうか
①材料の虚偽表示 ②集団食中毒の発生 ③価格の釣り上げ ④原料の不法仕入
6、庶民が楽しめるように製法の秘伝・口伝のほか渓斎英泉の挿絵を添えた菓子製法書の最高峰と言われる書物は次のうちのどれでしょうか
①餅菓子即席手製集 ②御前菓子秘伝抄 ③御前菓子図式 ⑤菓子話船橋
7、守貞謾稿に、「古は諸国ともに餅・饅頭店にはこれを用ふなり。今は看板あるひは暖簾に誌せり」と書かれていて、餅屋の看板として利用されていたのは、次のうちどれですか
①うす ②きね ③木馬 ④猿像
8、右の絵は、八百善の創業者栗山善四郎が刊行した「江戸流行料理通」に載っている絵です。
それでは、この絵の作者は次のうち誰でしょうか?
①酒井抱一 ②谷文晁
③鍬形恵斎 ④渓斎英泉
9、うな丼の考案者と言われるのは、中村座の金主であった大久保今助ですが、大久保今助は、後に、ある藩に仕え要職まで出世しています。
それでは、大久保今助が仕えた藩は次のうちどれでしょうか?
①尾張藩 ②越前藩
③出雲藩 ④水戸藩
10、江戸時代前期には料理人の料理人のための料理書が中心でしたが、しだいに料理人以外の人々が楽しめる「料理本」が主体となってきました。
その皮切りとなった本の名前はなんというでしょうか
①料理物語 ②料理歌仙の組糸 ③豆腐百珍 ④名飯部類