今回も『江戸の食文化』を中心に出題してあります。
江戸検本番まで2か月を切ってしまいました。
一級を受検する人は、「博覧強記」はもちろん、『江戸の食文化』はもうかなり読み込まれているとことと思います。
今年のお題『江戸の食文化』はかなり多彩な情報が織り込まれているので、尾内の「江戸の食文化」の勉強は、これからは、原田先生編の『江戸の食文化』一本でよろしいのではないかと私個人は考えます。
『江戸の食文化』をよく読み込まんでください。
今回の模擬試験が そのメルクマールになれば幸いです。
では、正解をアップします。
1、 ③調理
てんぷらの語源説はいろいろあります。『江戸の食文化』でも、スペイン語の寺院を意味する「テンプロ」、ポルトガル語の祭日を意味する「テンポラ」と調理を意味する「テンペロ」が南蛮語系として紹介されています。
受検者からすると覚えにくい事項ですが、問題にしやすい項目でもありますので、出題してみました。
なお、てんぷらの語源説では、「天麩羅」という漢字名を考えた山東京伝は必須事項です。
参照『江戸の食文化』P132
2、 ①4月
現代では、鮎の解禁は6月からとする川が多いのですが、江戸時代は、鮎の初物売出時期は4月からでした。
今回の問題は鮎としましたが、代表的な初物の売出時期は、覚えておきましょう。
なお、『江戸の食文化』では初物の時期は、魚類、野菜類、果物類と分けられていることに留意して覚えるとよいと思います。
参照『江戸の食文化』P151
3、 ②慶長年間
蕎麦切りが文献に初めて出てくるのが、天正2年(1574)の木曽の定勝寺の文書のなかですが、これは木曾でのことです。
江戸での蕎麦切りの初出は『江戸の食文化』でかかれている通り、慶長19年(1614)の「慈性日記」の中です。
参照『江戸の食文化』P133
4、 ④升屋
江戸時代後期になると高級料亭が数多く出てきます。
これらの料亭を覚えるのは大変だと思います。
しかし、料亭の中で、深川の「升屋」は落せませんので、必ず覚えておいた方がよいと思います。
「八百善」の前には「升屋」の方が有名であったという説もありますので。
参照『江戸の食文化』P140
5、 ③価格の釣り上げ
天保の改革の大きな眼目は、物価の統制でした。江戸の寿司屋の価格が高すぎるため、処罰されました。
処罰された中には、「花屋与兵衛」や「松の鮓」も含まれていたといいます。
参照『江戸の食文化』P130
6、 ⑤菓子話船橋
これは、『江戸の食文化』の153ページの該当部分をそのままとりました。
「菓子話船橋」はあまりなじみのない料理書のように思われますが、『江戸の食文化』ではかなり重要視されていますので、よく覚えておいた方がよいと思います。
なお、「菓子話船橋」は、深川佐賀町の菓子の名店船橋屋の主人船橋屋織江が書いた本です。
参照『江戸の食文化』P153
7、 ③木馬
餅屋の看板として「木馬」が利用されていたということを覚えている人は、守貞謾稿の記載を読まなくてもおわかりになったことだと思います。
なぜ、餅屋の看板に木馬が用いられたかというと「あな、うま! ⇒ あな、うまし!」という洒落のようです。
参照『江戸の食文化』P136
8、 ②谷文晁
これは結構難しかったのではないでしょうか?
「江戸流行料理通」の挿絵として有名なものは、酒井抱一が描いた蛤の絵です。「蛤」は写真も掲載されています。ですから、これは重要項目と思ってよいと思います。
さらに、『江戸の食文化』を読むと谷文晁も「蔬菜図」を描いていると書かれています。
ですから、この絵が「蔬菜」であることがわかれば。谷文晁という答えはでてくると思います。
また、絵をよくみると谷文晁の名前が書かれています。もちろんくずし字ですのでわかりずらいとは思いますが・・・
参照『江戸の食文化』P138
9、 ④水戸藩
これは、『江戸の食文化』には記載されていないことですので、案外難しかったのではないでしょうか?
ただ大久保今助が常陸の出身者だというのを知っていると答えは簡単かもしれません。
でも、このことを知っている人はあまりいないとは思います。
大久保今助は、現在の常陸太田市の生まれで、江戸にでて、財産を築き、中村座の金主となりました。
その後、水戸藩にお金を献納したことにより勝手方に取り立てられ、最後は勘定奉行までに栄進したと言われています。
参照なし
10、 ②料理歌仙の組糸
この問題も『江戸の食文化』の144ページをそのまま引用して問題としました。
どれだけ、『江戸の食文化」を読んでいるかを問う問題です。
『江戸の食文化』をよく読まれている方には、簡単な問題だったのではないでしょうか。
参照『江戸の食文化』P144