そんな中で、最近、なかなかブログが更新できません。
ブログが毎日更新されていないと、体調が悪いのではとご心配される方もいらっしゃるのですが、体調は問題ありませんのでご安心ください。
そんな状況の中で、今日は、『江戸の食文化』に書かれている「年中行事と食」の中でわかりにくい事項について書きます。
11月8日の行事に、「鞴祭り」というのがあります。
まず「鞴」という漢字が難しいのではないでしょうか。「鞴」は「ふいご」と読みます。
「ふいご」はご存知の方が多いと思いますが、鉄などの金属を製錬したり加工したりする際に、温度をあげるために風をおくる装置です。
この日は天から「ふいご」が降ってきた日だといわれています。そこで、「ふいご」を使用する鍛冶屋・鋳物師・たたら師などが中心となって行われるお祭りです。
この日には、蜜柑を撒いたり配ってやることが行われました。
これは、「ふいご」が天から降ってきて蜜柑の木に引っかかっていたという伝承があるためだそうです。
11月の子(ね)には、「子(ね」祭り」が行われます。
これについて、東都歳時記には次のようにかかれています。
「毎月といえども、当月は子(ね)の月なるをもって初子の日子の刻専ら大国神をまつる。これを子まつりという。赤小豆飯等を供する」
11月が「子(ね)の月」とされているため、特に11月の子の日に「子祭り」が行われたということのようです。
12月1日は「乙子朔日(おとごさくじつ)」と呼ばれました。
これも、現代の私達にはなじみがありません。
東洋文庫の「東都歳時記」の注釈に「乙子は末子の意味。12月は最後の月であるので乙子月とも言った。」と書かれています。
「乙子」というのは12月の異称ということであり、その一日ですから「乙子朔日」というようです。
「東都歳時記」には次のように書かれています。
「乙子朔日とて諸人餅を製し祝う。『日本歳時記』に云う。いつの頃より始まりし事にや、一年の間、事なく朔日を悉くかぞえ来りし事を祝う意なるべしと云う。今日製する餅を乙子のもちをいう。又、川浸(かわびたりもち)ともいう。」
年中行事のなかで、わかりにくと思われるものについて書きましたが、江戸時代の人たちが行っていた年中行事も現代まで続いているものが多いのですが、現代では廃れてしまった年中行事も少なからずあるということを改めて知りました。
なお、江戸検受検される方用に、 『江戸の食文化』重要事項一覧 をまとめてありますので、ご希望の方はダウンロードしてください。
『江戸の食文化』重要事項一覧ダウンロード