今日は日本橋について書いてみます。

まず、熈代勝覧の中に、日本橋と明示されていますが、その文字をよく見ると、日本橋の「本」の字が、「木」に「一」でなく、「大」に「十」の字をとなっています。
この「本」の字について、次のようなエピソードがあります。現在の日本橋は、明治44年に架け替えられたものです。この「日本橋」の橋名は、最後の将軍徳川慶喜が書いています。
徳川慶喜は、揮毫を依頼されて、日本橋の「本」を「大」に「十」という字で書きました。
これについて異論が出たので、それを「木」に「一」の字に書きかえたといいます。
しかし、「熈代勝覧」を見ると、徳川慶喜が書いた「本」の字も、あながち間違いではないということがわかります。
日本橋高札場
日本橋の高札場については、大変有名です。
日本橋の高札場は、江戸市中にある6ヶ所の大高札場と35カ所の高札場の中で最も重要な高札場です。そのため、「熈代勝覧」でも、高札場が描かれています。
しかし、驚くべきことには、高札が読めるように書かれています。
「三越前駅」の地下通路にある複製では読めませんが、実物では読めるそうです。
小学館の「『熈代勝覧』の日本橋」には、その高札が拡大されています。それをみると確かに文字が書かれているのがわかります。
これは、現在でも米粒に文字を書く技術を持っている人がいますので、江戸時代にも細かい文字を書くことは十分可能であったと思われます。
水泳をする人物
日本橋川で水泳をしている人物(子供か?)が描かれています。「熈代勝覧」では、季節を感じさせる絵柄が少ないのですが、この水泳の絵は、通常に考えれば、夏を感じさせるものです。
擬宝珠
日本橋は擬宝珠のある橋であることはご存知だと思います。
「熈代勝覧」にも、擬宝珠はしっかりと書かれています。
「熈代勝覧」を見ると文化2年当時の日本橋の擬宝珠は片側で6個ついていることがわかります。

