延宝元年(1673年)に開店した越後屋の商法は、「現金掛け値なし」のキャッチフレーズで有名ですが、それ以外の特徴的なことがかなりあります。
そこで、それらを私なりにまとめてみました。

1、現金商売
越後屋というと「現銀掛け値なし」のキャッチフレーズが有名ですが、越後屋の商法は、当時としては画期的でした。
当時の商売は
「見世物商い(みせものあきない)」と言って、得意先に見本を持って行き注文を取る売り方や「屋敷売り(やしきうり)」と言って、商品を得意先で見てもらって売る売り方でした。
しかも、これらの商売は、現金商売でなく、掛売りでした。
支払いは6月、12月の節季払いか、年一度の極月払いを慣習としたので、資金の回転が悪く、回収不能等の危険がありました。
そのため、売る側は、運転資金の利息分、売掛としていたお金の回収の費用、さらに回収不能になった場合のリスク分などを、販売価格に上乗せせざるをえず、売値が高くなっていました。
三井高利は、「店先(たなさき)売り」といって、店頭で現金で販売することにしました。
これが画期的なものでした。
掛売りでないため、利息分や売掛金の回収費用、さらに回収不能の場合のリスク分を考慮する必要場ありませんので、当然のことながら、売値を安くすることができました。
2、定価販売
呉服屋の商品には値段を符牒でつけ、お客様によって値段を上げ下げするのが当時の商慣習でした。
しかし、越後屋では、正札をつけて定価で販売することにしました。
今では、定価販売は当たりまえですが、当時としては画期的なことでした。
3、切り売り
当時は、呉服は一反単位での販売しか行なわれていませんでした。そのため、小裂が必要なお客様でも不必要に多くの呉服を買わざるをえませんでした。
しかし、越後屋では、小裂を必要とするお客様のニーズに対応して、呉服の切り売りに応じました。
「小裂何程にても売ります」というキャッチフレーズは、このことを言い表しています。。
4、分業制
越後屋では、反物を、金襴類、羽二重類、紗綾類、紅類、麻袴類、毛織類等などと分類し、店員の担当を明確に分ける分業制をしいて販売しました。
この手法は、「一人一色の役目」と言われました。
5、即座仕立て販売
越後屋では、顧客の注文にその場で応じる「即座仕立て」を取り入れていました。
職人を大勢店内に抱えてお客様のニーズに合わせて、その場で着物を仕立ててすぐに渡すというサービスを行いました。
今で言うとイージーオーダーですね。
これがさらに進むと既製品販売となりますが、江戸時代後期には、既製品の販売も行われていたようです。
6、引札(チラシ)広告
越後屋は、引札を最初に発行したお店です。引き札とは、いまでいうチラシです。
こうしたチラシを配布し江戸市中に大きく宣伝をしました。
こうした画期的な手法を展開し、越後屋は大繁盛することになり、次のような川柳が読まれるほどに繁盛しました。
「駿河町 畳の上の 人だかり」

