今日は、「蓬莱島・臥龍島」と「指南岡(しるべのおか)」「千鳥橋」について書きます、
蓬莱島
中の島の西側の大泉水の中に蓬莱島があります。
アーチ型の石の島です。
元禄15年の作庭当時にはなく、明治時代になって、岩崎家によって作られたものといわれています。
本来は島に松の木がありましたが、東日本大震災で石組が崩れ、松の木も倒れてしまったそうです。
その後、復旧工事が行われ、蓬莱島が復元されました。
実は、昭和51年にも、蓬莱島が壊れていまい、松の木が倒れたことがあったようです。
5月の連休中に、台風並みの風雨が六義園周辺を襲いました。
その際に、蓬莱島が崩れ、その上の松も池に落ちてしまったそうです。
その際にも、すぐに復元されたそうです。
臥龍島
蓬莱島の右にある小屋が目に入りますがが、その小屋は舟屋です。その少し左に水面にわずかに出ているのが臥龍石です。
その名の通り、龍が伏せているような形の石が水面から顔を出しています。
こちらも東日本大震災で石が沈下してしまったそうですが、修複され、龍の形として見えるようになりました
指南岡(しるべのおか)
蓬莱島の見える岸辺を西に進むと道路脇に「志への岡」と刻まれた石柱があります。柳沢吉保は、園内に、88カ所もの景勝地を造り、六義園八十八境(名所)としてそれぞれの地にこのような 石柱が置かれました。
現在は、こうした石柱は32個残っています。
ここにある石柱は、残されたうちで、わかりやすい場所にあるうちの一つです。
この石柱には指南岡(しるべのおか)、「志への岡」と書かれています。
新千載和歌集に
尋ねゆく和歌の浦ちの浜千鳥あとあるかたに道しるへせよ
という歌があります。
この先の千鳥橋と云う橋がありますが、その千鳥橋の手前にあることから、指南岡(しるべのおか)と名付けられています。
千鳥橋
大泉水の西側に小川があり、そこに橋が架けられています。この橋が「千鳥橋」と呼ばれています。
ここに石柱があります。
鳥の千鳥が足を交差させて歩く様子から、ジグザグの形を「千鳥」と呼びますが、左手の千鳥橋はかつては実際にそういう形をしていたそうです。
先ほどの六義園の地図をみるとジグザグの形として描かれています。

