そこで、今日は、高杉晋作について書いた三浦徹氏著「高杉晋作」について書いていきます。
「世に棲む日日」も後半部分は高杉晋作について書かれていますが、この本も面白い本でした。
高杉晋作は、大組200石の上士である高杉小忠太の長男として生まれました。松下村塾の塾生の多くが、下級武士や足軽などの息子でしたが、高杉晋作は、例外的に上士の出身でした。
高杉晋作については、かなり小説やドラマで取り上げられていて、奇兵隊の創設や第2次長州戦争の活躍など、尊王攘夷の志士として大いに活躍したことはよく知られています。
しかし、私は、まだ勉強不足のせいか、幕末の重大事件である薩長同盟の成立に高杉晋作がどのように関わっていたのかよくわかりませんでした。
そこでその点に興味をもって読んで見ました。
「高杉晋作」では、薩長同盟に関しても、かなり書かれてましが。
それによると、高杉晋作は、「久坂たちに霊が浮かばれない」といって、薩長同盟には当初反対していたようです。
しかし、 桂小五郎の勧めにより、慶応元年10月に馬関で坂本龍馬と高杉晋作と桂小五郎が会談します。
その階段の後、桂小五郎が高杉晋作に質問する次の場面が描かれています。
「連合をどうする」「僕は反対です」と晋作はきっぱりといった。
桂の顔に失望の影がうかんだ。
「ですが、薩摩を徳川方へ追いやっては、お家は滅亡するでしょう。久坂らには申訳ないが、お家のために涙をのんで坂本にゆだねることに異論はありません」
と晋作はいった。桂が見ると、晋作はいまにも涙をこぼさんばかりであった。
「これで薩摩との連合もうまくゆくだろう」
と桂は自分も目頭を熱くして思った。
晋作は、感情論として薩長連合には反対するものの、大局的判断から、薩長連合もやむなしといった考えであったように描かれています。
このように薩長連合には消極的賛成に考えていた晋作ですが、薩長連合成立の最終段階で、西郷隆盛が、京都に桂に来てほしいと要請してきたところ、長州藩内では、薩摩は信用できない、桂を殺そうとしているのではないかと上京に反対する意見が多数でしたが、高杉晋作が「西郷は決してこれを殺すものにあらず、心配することはない」といったので、桂小五郎も上京を決めたと描かれています。
高杉晋作、表にはたっていませんが、やはり裏で重要な役割を果たしていたんですね。
ところで、坂本龍馬はピストルを持っていたという話も有名で、そのピストルは、高杉晋作にもらったという話を御存じのかたも多いと思います。
そのピストルを高杉晋作が坂本龍馬に送る場面も、慶応元年の馬関での会談の際にえがかれています。
三好徹氏の「高杉晋作」も大変おもしろく読みました。

