「宝島」は、イギリスのある海辺の宿屋の一人息子であるジム・ホーキンスが、宿の宿泊客が残した一枚の地図をみつけます。それは海賊が宝を隠した宝島の場所を示したものでした。ジムは知り合いの力を借りて、宝探しの旅に出ます。
しかし、船を出すために協力したジョン・シルバーという一本足の男は、実は海賊であったため、冒険活劇が展開するというお話です。
子供向け小説ですので、右写真の福音館古典童話シリーズの外、多数の出版社から「宝島」は、出版されています。
この「宝島」の作者は、イギリス人のロバート・L・スティーブンソンです。
思いがけなく、このロバート・L・スティーブンソンが、吉田松陰の伝記「吉田松陰伝」を書いています。
しかも、スティーブンソンが書いた「吉田松陰伝」が、世界で最初の吉田松陰の伝記だそうです。
そのことを書いた本が よしだみどり氏が書かれた 「知られざる吉田松陰伝 ‐『宝島』のスティーブンソンがなぜ」という本です。
吉田松陰は、日本では、かなり有名ですが、海外では、それほど有名とは思えません。その吉田松陰の伝記が、イギリス人の手によって書かれていると知って驚きました。
その経緯や吉田松陰の伝記について書いたのが「知られざる吉田松陰伝」です。
「宝島」の作者スティーブンソンがなぜ「吉田松陰伝」を書いたかということですが、イギリス人のスティーブンソンに、吉田松陰について語った人がいたのです。
その人が正木退蔵という人物です。
正木退蔵は、長州の出身です。
明治維新後、政府から英国留学に派遣され、化学や物理学等の外国人教師を日本へ招聘するために活動しました。のち東京職工学校(現在の東京工業大学)の初代校長となり、ハワイ総領事なども歴任しました。
この正木退蔵は、13歳の時に松下村塾に入り、吉田松陰に学んでいます。
そして、イギリスに派遣された際に、スティーブンソン一家と知り合い、正木退蔵の先生であった吉田松陰のことを話したようです。
その頃、スティーブンソンは、まだ20代の青年でしたが、吉田松陰に感銘し、1880年に「吉田松陰伝」を書いたのだそうです。
それでは、どんなところに感銘したのかということについて よしだみどり氏は、「知られざる吉田松陰伝」の中の「スティーブンスンは何に感動したのだろうか」というタイトルの中で次のように書いています。
スティーブンスンが退蔵の話から、もっとも注目していたのは、松陰の感化力のすばらしさと、それを受容できた江戸の一般庶民の潜在的教養の高さであった。
実は、吉田松陰の伝記が初めて書かれたのが日本ではなく、イギリス人のスティーブンソンであったということは、吉田松陰研究家の中では、常識的な話のようです。
そして、吉田松陰の話をスティーブンソンに話した正木退蔵の名前もかなり有名なようです。

