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「吉田松陰」(山岡荘八著)を読む
 吉田松陰に関係する小説を先週から書いています。
 今日は、山岡荘八の「吉田松陰」について書きます。
 山岡荘八の「吉田松陰」は、文庫で2冊ですので、山岡荘八の小説の中では、短いほうでしょうか。

「吉田松陰」(山岡荘八著)を読む_c0187004_9515079.jpg 山岡荘八の「吉田松陰」は、文庫本2冊ですが、第一巻は、幼い頃から、東北遊歴のため脱藩したため、帰藩後、士籍をはく奪されるまでが描かれていて、そして、第二巻で完結していますが、下田韜晦までで全体の四分の三が使用されています。
 つまり、下田韜晦に失敗し、小伝馬町牢屋敷入獄、長州の野山獄入獄、野山獄出獄、松下村塾での門下生育成、野山獄再入獄、江戸檻送・取調べ・死罪までが四分の一程度の割合でしか書かれていません。
 最も劇的な部分がコンパクトに描かれてもいますが、ひとつひとつの描写は、生き生きと描かれていて、さすが山岡壮八の描き方がすごいと感じました。

 それが最も現れているのが、吉田松陰が、江戸に送られる時の様子です。
 吉田松陰が、江戸に檻送されたのは安政6年5月25日ですが、その前夜、野山獄の司獄の福川犀之助は、独断で吉田松陰を松本村の吉田家に返し、両親・家族、そして門下生と最期の別れを告げさせます。
 家族は、着替えを準備し風呂を沸かし松陰をまっています。そこで、母は松陰に「必ず生きて帰れ」と言いますが、この場面などは、まさにドラマを見ているように感動的に描かれています。
 ここを読むだけでも、山岡文学の素晴らしさがわかります。

「吉田松陰」(山岡荘八著)を読む_c0187004_9524943.jpg ほかに二点、印象に残った点を書きましょう。
 吉田松陰は、女性との交渉がほとんどなく、その例外が高須久子であると以前書きました。
 歴史の事実はその通りだと思いますが、山岡荘八は「吉田松陰」の中では、高須久子には全く触れていません。
しかし、吉田松陰の淡い恋愛を創作しています。
  吉田松陰は、全国を旅して歩いていますが、最初の遊歴が、21歳の時の九州遊歴です。
 この時は、平戸、長崎、熊本などを訪ねています。
 平戸は、平戸藩松浦家の家老扱いであり山鹿流兵法の宗家である山鹿万介から、免許皆伝を受けるために滞在していました。
 山鹿万介は、山鹿流の始祖山鹿素行の子藤助高基が平戸藩の軍学師範として招かれて以来の家柄であり、江戸の山鹿素水とともに東西の両宗家でした。
 吉田家は、代々山田流兵学をもって長州藩に仕える家柄でしたので、吉田松陰も免許皆伝を受けるため山鹿万介に学んでいます。
 平戸に滞在している際に、平戸藩の儒学者葉山左内の娘珠江と淡い恋愛に陥るという風に、山岡壮八は描いています。
 平戸市には、吉田松陰が宿泊した紙屋跡が史跡として残されているのですが、研究書を見ると、葉山左内の娘珠江という人物は全く出てこないので、珠江との恋愛は山岡壮八の完全な創作のようです。

 この「吉田松陰」で、最も印象に残った部分が、本文の最後の部分の評定所の尋問の場面と追記と書かれた山岡荘八のコメント部分です。
 吉田松陰は、江戸に送られ、7月9日に評定所で尋問を受けます。
 そして、その場で、幕府の嫌疑がかかっていた梅田雲浜との関係、そして御所への落とし文についての申し開きをした後、間部詮勝殺害計画について話してしまいました。
 この部分で、山岡荘八は次のように書いています。

 松陰は、評定所にかけられてあった罠の中へ、すすんで飛び込んだように見える。
 ところが、これを今少しく、高く大きな眼でみると、事情はがらりと逆になろう。
 この時に松陰が、善良の限りを尽くして処刑されなかったら、歴史の中に、果たして長州藩の奮起があのように速やかに、はげしく、期待できたかどうか・・・?
 長州の奮起が遅れてあれば、薩摩の事情も変わっていたであろうし、幕府の反省もああ速やかに大政奉還へ道を開くことにはならなかったろう。
 その意味ではこの、お人好しの松陰の安政6年7月9日の法廷での失敗が、実はその後の歴史の起爆剤になってゆくのだ。

 と書かれています。
 そして、「吉田松陰」自体は、吉田松陰が、小伝馬町の牢屋敷で斬首される場面で完了しているのですが、その後に「追記」という部分があります。
 それは、斬首された吉田松陰を遺骸の処理とお墓をどうしたかについて書いている部分です。

 吉田松陰が斬首された後、小塚原の回向院に送られため、長州藩士の桂小五郎、伊藤俊輔(のちの博文)、尾寺新之丞、飯田正伯が急行し、ここで松陰の遺骸を受け取り、お墓を建てました。
 こうした事情が書かれた後で、次のように書かれています。

 中央に、「松陰二十一回猛士」と彫らせ、右に「安政己未十月念七日死」、左に「吉田寅次郎行年三十歳」と彫り、右側面には「吾今為国死、死不背君親、悠々天地事、鑑賞在明神」の辞世の詩を、そして左側面には「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬともとどめおかまし大和魂」と「留魂録」の冒頭の歌を刻ませてあったというのだから、門下生の憤怒の激しさがわかるであろう。
 むろんこれは間もなく幕府の命でこわされた。
 しかしこの怒りが、そのまま長州の維新運動を驀直にすすめてゆく原動力になったことは言うまでもなく、決して松陰は、斬首と共に死んでいなかったのだ・・・

 このように、山岡荘八は、明治維新成功のために吉田松陰が果たした役割が非常に大きかったということを特に強調しています。
「起爆剤」という言葉は、それを象徴して使用している語句のように思います。
 やはり、明治維新の原点は吉田松陰にあったのですね。

by wheatbaku | 2014-12-17 09:19

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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