そこで、今日は、「嶋村」さんの御紹介をします。
「嶋村」さんは、東京駅の八重洲中央口から徒歩2分のところにあります。
「嶋村」さんは、嘉永3年(1850)の創業のお店ですので、創業以来約130年の暖簾を誇る老舗です。
江戸時代の料理番付にもたびたび登場している有名店です。
「嶋村」さんは、嘉永3年に、嶋村善吉が始めたお店で、当初は仕出し専門で江戸城出入りも許されたほどの腕だったそうです。
初代善吉が、どこの出身であるかは記録がないためはっきりしないそうです。
「嶋村」さんは、仕出し専門で、西の丸の御用も勤めていました。
安政7年3月3日、いつものように、後に4代名目を継ぐ延太郎が西の丸に登城しようとすると、桜田門外で呼び止められました。その場に止まっていると、井伊大老の行列が差しかかりました。
すると水戸浪士たちが行列に斬り込み、井伊大老の首があがるまで、延太郎が一部始終をみたという話が残されているそうです。
明治になり徳川家が駿府に移った際に、初代善吉・二代目善吉は、徳川家と共に駿府に移り住みました。
そして、江戸の「嶋村」さんを継いだのが、板場を任されていた加藤善吉です。
加藤善吉は、「嶋村」の暖簾と「善吉」の名前を譲られ、それ以降加藤家が、「嶋村」さんを継いでいくこととなりました。
現在の加藤一男社長様は、8代目になります。
加藤様、ありがとうございました。
「嶋村」さんは、当初は、檜物町(ひものちょう)に店舗を構えていました。
右写真は安政年間の料理番付ですが、行事として載っています。
この料理番付では、檜物町(ひものちょう)となっていますが、他の番付では日本橋や数寄屋町となっていたりします。
昭和になって、近隣の保険会社の敷地を拡張することになったため、、昭和2年に現在地に移転してきました。
それ以降、現在地で営業をしており、昭和52年には8代目ご主人の手で鉄筋コンクリート5階建のビルに建て替えました。
「嶋村」さんは、八重洲のビジネス街近くにあるため、昼はサラリーマンで一杯でした。そしてメニューも、サラリーマン向けの手ごろな価格の品もそろっています。
そうした中で、個室もあり、江戸料理も味わうことができます。
私がお邪魔した日は、平日であったので、残念ながら「幕末会席」はありませんでしたので、「江戸散歩」という、会席コースをお願いしました。
予約してからお邪魔しましたので、2階の個室で頂戴しました。
お通し ⇒ 刺身 ⇒ 炊きあわせ ⇒ 天麩羅 ⇒ 御飯と味噌汁 ⇒ デザート
という順に提供されました。
右上写真は、お通しと刺身 ⇒ 炊き合わせ ⇒ 天麩羅と御飯・味噌汁 です。
「嶋村」さんの江戸料理の名物は、「幕末会席」です。
「幕末会席」は、土曜日にだけ提供される料理です。
「幕末会席」はまたの機会に頂戴したいと思います。
「幕末会席」は、7代目ご主人が口伝やメモを基に再現したものだそうです。
右写真は、ぐるなびの「嶋村」さんのページに載っている「幕末会席」です。
おいしそうですね。
個室には、良寛和尚の書が掲示されていました。
右から2番目の漢字が読めないのでお聞きしたところ、「愚」という漢字だそうです。
左からは「比無信愚頑」と書かれています。
読む場合には「頑愚信無比」であり、「愚かなほど頑なに信じる事はこれに比べられるものはない」と読むようです。
江戸は火災の多い町ですし、明治以降も関東大震災や東京空襲という大被害があった都市です。
「嶋村」さんも、数多くの火災にあっているため、昔のものは、あまり残っていないそうです。
そうした中ですので、「良寛の書も保存状態は良くないのですが・・・」とご主人は御謙遜されていましたが、大変貴重な書だと思います。
御主人の加藤様、ご丁寧なご対応ありがとうございました。
おいしい料理と興味深いお話に大満足のひとときでした。
赤印が「嶋村」さんです。東京駅八重洲中央口のすぐそばです。