冬至と云うのは、いうまでもありません「二十四節気」の一つです。
来年の江戸検のお題は「江戸の祭礼と歳事」です。
「祭り」のほかに「歳事」が加わっているのが厄介だと思いますし、それがポイントかもしれません。
江戸検のお題関連の記事としては、すでに「どぶろく祭り」や昨日書いた「一陽来復御守」など「お祭り」関連の記事を書いていますが、これから随時「歳時」関連の記事も書いていこうと思います。
そこで、「歳事」の第一弾として「二十四節気」について書くことにします。
「二十四節気」は、旧暦を使用していた時代に、一年を二十四回に分けて、季節を現したものです。
古代中国では、月の満ち欠けに基づいた太陰暦が使われていました。
しかし太陰暦による日付は、太陽の位置と無関係なため、暦と季節の間にズレが生じてしまいました。
農作業は、太陽の動きを基礎に行われるため、太陰暦の日付にだけ頼っていると、農作業の時期が適切でなくなるということになります。
そこで本来の季節を知る目安として、太陽の運行を基にした二十四節気が暦に導入されました。
「二十四節気」は次の二十四を言います。
立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨
立夏 小満 芒種 夏至 小暑 大暑
立秋 処暑 白露 秋分 寒露 霜降
立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒
このうち 冬至・夏至と春分・秋分を「二至二分」と言います。
そして「立春・立夏・立秋・立冬」を「四立」と言います。
この二十四節気は、太陽の位置を基にしているので、ほぼ変動しません。
そこで、これを暦の中に書き込んで利用したのです。
今、新聞やテレビでよく「旧暦」という言葉が使われます。
現在私たちが利用している暦は、「新暦」とも呼ばれ、明治5年に新たに採用された太陽暦です。
それ以前に使用されていた暦が、江戸時代末期の天保13年(1842)に改正され天保15年から施行された暦のため「天保暦」と呼ばれていました。
「旧暦」とは、「暦と時の事典」(内田正男著)などによれば、この「天保暦」のことを指すそうです。
天保暦以降は、立春を一年の始まりとしていますが、天保暦以前は、冬至を一年の始まりしていました。
そして、冬至を含む月は11月とすると決まりが古くからありました。
太陽の周期と月の満ち欠けは同じ周期ではないため、冬至と11月の新月(つまり朔日)が重なるのは19年に一度にしか巡ってきません。
そのため、冬至と11月朔日が重なることは、「朔旦冬至(さくたんとうじ)」と呼ばれ非常にめでたいこととされていて、天明6年(1786)まで宮中で祝賀行事も行われたそうです。
実は、一昨日の冬至は、この「朔旦冬至」だったそうです。
19年に一度の大変珍しい冬至だったんでね。
そう言われて、暦をみると、確かに旧暦では、一昨日は11月1日になっています。
なお、朔旦(さくたん)とは、一日の朝を意味する言葉です。
二十四節気は、来年の江戸検では、要注意の事項だと思います。
これから、適宜、二十四節気に関連する記事を書いていこうと思いますが、江戸検を受検される方は、二十四節気はすべて暗記しておいた方がよいと私は思います。