そこで、今日は、池宮彰一郎氏著の「高杉晋作」について書いてみます。
高杉晋作については、司馬遼太郎氏が描いた「世に棲む日日」が大変有名です。そして、先日三好徹氏の「高杉晋作」も紹介しました。
この池宮彰一郎氏の「高杉晋作」もすごくおもしろい小説です。
しかし、読んでいる途中で奇異に感じたことは、薩摩が権力欲が強いと何度も強調されていることでした。
こうした描き方は、池宮彰一郎氏が意図的に描いたものだということがあとがきを読んでわかりました。
池宮彰一郎氏の意図は、「あとがき」にはっきりと書かれていました。
もちろん、「あとがき」ですから最後に読みましたが・・・
維新の志士を英雄として扱うと、人物像が明確に伝わらない憾みが残ることは否めない。
殊に作者の立脚点が那辺にあるかによって、人物評価が多少傾くのは致し方のない事実である。
薩摩、特に西郷隆盛を維新最大の英雄とした小説があった。また、土佐、坂本龍馬に維新回転の最高指導者とした小説もある。それらは、薩摩、あるいは土佐の観点から維新史を展望した。が、ふしぎなことに、長州から維新史を眺めた小説は銖錙(しゅし)である。(*銖錙とは「わずか」という意味です。)
筆者は、長州の高杉晋作の立場から、維新革命を直視しようと思い、筆を執った。
この小説の流れは、まさにこの通りです。ですから、高杉晋作は維新回転を成し遂げた革命家として描かれています。
それに対して、西郷隆盛については「西郷は権力欲が人一倍強く、とかく小ずるい策を弄する。それは私生活とは対照的な面であった」と書いてあり、坂本龍馬については、「坂本には革命の起爆力はない。(中略)革命に必須の人間に相違ないが、百人の坂本龍馬がいても革命発起には至らない」としています。
こうした幕末有名人の評価について異論のある人もいるとは思いますし、私も賛成するわけではありませんが、池宮彰一郎氏の人物評価は、これはこれでおもしろいと思います。
池宮一朗彰氏のおもしろい所は、高杉晋作の有名な逸話を史実ではないと言い切っていることです。
例えば、文久3年の正月5日に、高杉晋作は、伊藤俊輔、山尾庸三、白井小助、堀真五郎を連れて、小塚原に埋葬されていた吉田松陰の遺骸を、世田谷の若林に改葬しました。
その途中、上野を通過した際、将軍しか通れない三枚橋の真ん中の橋を押し渡ったと言われています。
このエピソードは、司馬遼太郎氏の「世に棲む日日」や三好徹氏の「高杉晋作」にも描かれている有名なエピソードです。
池宮彰一郎氏は、このエピソードは史料にはないと言い切っています。
そして、高杉晋作は、吉田松陰の改葬後、京都に上る時に、箱根の関所破りをしたというエピソードもかなり有名です。
池宮彰一郎氏は、「これも史実にない。この頃の晋作に関する俗説は、後世数多く流布された」と書いています。
また、高杉晋作は数多くの都々逸を作ったといわれています。最も有名なものが次の都々逸です。
三千世界の烏を殺し
ぬしと朝寝がしてみたい
これについても、池宮彰一郎氏は、「大方は訛伝(かでん)であろうと思われる」と書いています。(*「訛伝」とは「まちがった言い伝え」という意味です。)
これもすごいと思います。
こうしたトーンで描かれているので、全体的に歯切れの良さが感じられます。
そのほか、おもしろかったのは、野村望東尼(もとに)の描き方です。
野村望東尼は、高杉晋作の最期を看取り、高杉晋作の辞世の歌を補作したことで有名です。
池宮彰一郎氏は、高杉晋作と野村望東尼との間に愛情が芽生えていたと描いています。
そして、有名な高杉晋作の辞世の句について、多くは、まさに亡くなる直前に作られたと書かれています。
しかし、高宮彰一郎氏は、慶応2年に、高杉晋作が、野村望東尼を幽閉されていた姫島から救い出し三田尻まで送り届けた時に、野村望東尼に渡しておいたと描いています。
こうした描き方は、思いがけない描き方なので、驚くとともに小説の描き方として新鮮に感じました。
野村望東尼との愛情は創作のような気がします。
しかし、辞世の歌については、高杉晋作がなくなる一年前に作られたという説も確かにあるようです。
読み始めれば、あっという間に読むことができるおもしろい本でした。

