江戸時代、毎月10日は、金毘羅参りの日でした。
現代でも、虎ノ門にある虎ノ門金刀比羅宮のホームページに、1月10日は初こんぴら祭が行われると書かれています。
ところで、この虎ノ門の金刀比羅宮は、第5回の江戸検1級の問題ともなっています。
現在も港区虎ノ門に残る金刀比羅神社は、江戸時代、金刀比羅大権現と呼ばれ、ある大名が、国元の金毘羅大権現の分霊を上屋敷に勧請したものです。庶民の熱心な信仰を受け、毎月10日に開放されていたといいます。この大名は次のどの家でしょう?
い)伊勢国津藩藤堂家 ろ)讃岐国丸亀藩京極家
は)阿波国徳島藩蜂須賀家 に)日向国高鍋藩秋月家
この問題の正解はどれでしょうか?
その答えは、「東都歳事記」にも書かれています。
「東都歳事記」によれば、十日 金毘羅参 虎門外京極御藩邸 謁祠(さんけい)の貴賤陰晴をきらはず、未明より輻輳して霊験を仰ぐ、近郊よりまうづる人多し、植木其外諸商人市をなせり。(後略)
と書かれています。
この虎門外京極藩邸というのが、前述問題の答えになります。
問題の文章にある通り、虎ノ門金刀比羅宮は、江戸寺時代に琴平にある金刀比羅大権現を勧請したものです。 右上写真は現在の虎ノ門金刀比羅宮です。
その理由は
「刑部大輔高和の代、万治元戊戌の年、播州揖西郡竜野を転じ、讃州那珂郡丸亀へ国替しては、国に名だたる霊神なれば信仰せしに、若狭守高或(たかもち)の代かとよ、舎弟壱岐守高道を本家の家督にせんと陰謀する者ありて、既に内乱に及ばんとする前夜、件の神馬高或の枕上に影現し、あはただしき零夢ありしかば、佞 の悪徒を一々糾明し滞りなく家治まりて後、いよいよ神験のいちじるしを感仰し、やがて一社を造立して、金毘羅神を勧請せし(後略)」
と「遊歴雑話」に書いてあると、「東都歳事記」の解説に書いてあります。
江戸の川柳には讃岐から虎の門まで鼻を出し というのがあります。
金毘羅大権現のある像頭山ですので、像の鼻を讃岐から虎の門まで出すという意味ではないでしょうか
金毘羅大権現は、寒参りでも有名です。
「寒参り」は別名「はだか参り」とも言われました。
寒の三十日の間は、日が暮れると職人の弟子はしばしの暇をもらい、水垢離をして身を清め、赤ふんどし、白木綿の鉢巻素足という姿で長提灯をさげ、鈴をならして、お不動様、さらに金毘羅大権現にお参りし、技量の上達を祈念したのでした。
「寒参り」の姿が、歌川広重の名所江戸百景の「虎の門外あふひ坂」に描かれています。
下部中央の裸の二人が「寒参り」の修業中の人物です。

