今回は、主に「東都歳事記」と「守貞謾稿」から出題しました。
この模擬試験が、「東都歳事記」や「近世風俗志(守貞謾稿)」のきっかけになればよいなぁと思います。
1、 ①えのき
東都歳事記の十二月晦日の項に次のように書かれています。今夜、王子稲荷の傍ら衣装榎の本へ狐多く集まる
と書かれていますので、正解は えのきです。
この言い伝えは、江戸では、かなり有名であったようです。
歌川広重も名所江戸百景の中で「王子装束ゑの木大晦日の狐火」(右の写真参照)として描いています。
この狐火をみて、近在の農家は、新年の豊凶を占ったことも東都歳事記に書かれています。
2、 ②総州
三河万歳についてはブログでも書いてあるので、この問題は易しいと思います。
先日書いた東都歳事記には 「才蔵は安房上総または下総古河の辺より出る。」 と書かれていますが、守貞謾稿には、 「この才蔵、多くは総州の夫」 と書かれています。
「近世風俗志(守貞謾稿)」では152ページに載っていますので、確認してみてください。
3、 ①神田神社
「東都歳事記」には次のように書かれています。
深川洲崎 品川高輪等の海浜、神田の社地等にて日の出を拝する輩、今暁七時より群衆す。
七時(ななつどき)ですので、午前4時頃には、大勢の人々が、日の出を拝むために、海辺や神田神社に集まっていたようでね。
4、 ④繭玉
私は幼い頃に「繭玉」を見た記憶がありますが、この「繭玉」が守貞謾稿に載っているので正直驚きました。
私の見た繭玉は、米の粉を丸めて茹でたものを木の枝につけて,床の間や柱などに飾られていましたが、守貞謾稿には 「繭玉は土丸(つちだま)を用ひ、その他は厚く重ね張りたる神製にて、胡粉・丹・緑青そのほかとも彩を加ふ。」 と書かれていますので、食べることはできなかったようです。
繭玉は、農作物の豊作を予祝する餅花が,養蚕と結びついて生れたもので、繭が良くできるように願ったものです。
農作物の豊作を祈願する場合には、「餅花」「花餅」「稲の花」などと呼ぶようです。
守貞謾稿の 「初卯、亀井戸また専らこれを売る」 と書かれているのは、ブログでも書きましたが、亀戸天満宮の境内にある妙義社(現在は御嶽神社)で、初卯の際に、繭玉が売られたことを書いたものです。
5、 ③12文
この問題は、江戸検の第2回2級の過去問を出題しました。ただし、「絵本風俗往来」の説明の部分を加えるなど問題文を一部変更してあります。
正解は12文です。
「絵本江戸風俗往来」には
湯銭は寛永銭三つを白紙にひねりて渡す。これをおひねりという と書かれています。
この寛永銭は、四文銭(いわゆる波銭)のことでしょう。ですから、12銭ということになります。
また、 「浮世風呂」には、「御祝儀の十二銅、男衆への水引包は、二つの三方にうず高うして、雪消えぬ不尽(富士)と筑波山をあらそへり」 と書かれています。
6、 ①酉の市
「酉の市」は、旧暦の11月に開催されますが、江戸の人は、「酉の市」は春を呼ぶ行事と考えていたのですね。
二十四節気でも、天保暦以前は、冬至が年の初めとされていましたから、ほぼ同じ頃に開かれる「酉の市」を春の初めと考えてもおかしくはないと思います。
7、 ②節季候
節季候は、年末にやってきます。
東都歳事記」の「十一月二十八日」の項に 「今日より、節季候出る」 と書かれています。
東洋文庫の「東都歳事記」の注釈には、節季候について、 暮に訪ねる門づけ祝言の徒 と書かれています。
それ以外の、大黒舞、太神楽、鳥追は、お正月にやってくる門付芸です。
大黒舞について、東洋文庫の「東都歳事記」の注釈には、次のように書かれています。
各戸をめぐって行う祝福芸で、大黒頭巾をかぶり、面をつけ、張り子の小槌を持ち、伴奏の供を伴い、「大黒舞を見なさいな」で終わる数え歌のめだたい歌をうたい、舞を舞い、米銭を貰って歩いた。
そして、太神楽については次のように注釈されています。
太神楽 獅子舞の一種。伊勢代参の神楽である代神楽から展開した門付芸。正月これを行うのは、獅子を神と考え、その神が新春に幸福を約束をしてゆくと考えたためで、これが次第に曲芸化した。
鳥追の注釈は
田畑を荒らす鳥獣を退散させて、その年の豊穣を祈願予祝する農村行事であるが、江戸では早く避妊の妻娘がこれを担当し門づけ芸となった。 と書かれています。
守貞謾稿には、鳥追と大黒舞について説明されていますが、鳥追について、次のように書いています。
今世、江戸のみ鳥追あり。常平、女大夫と称し、菅笠をかぶり、三絃を弾きて銭を乞ふ女非人、元日より15日まで、衣服平日と同じといへども、新綿服を着し、常のごとく紅粉を粧ひ、ただ平日に異なるは、編笠着し、三絃の唱歌を異にす。
8、 ③卯半刻
この問題は、東都歳事記から引用してありますので、東都歳事記で確認してください。
大名たちが登城するのは「卯半刻」です。
「卯」は、明け六つ頃で午前6時ごろ、「卯半刻」は午前7時ごろと、東洋文庫「東都歳事記」の注釈に書かれています。
元日には、諸大名は、随分早く登城していたのですね。
我が社では、午前8時から初祈祷を行いましたが、それでも早いと思いましたが、江戸時代は、もっと早やかかったのですね。
9、 ④筑後
水天宮は、安産の神様として大変有名ですが、それでは、「お祀りされている神様は誰でしょうか?」と聞かれると、答えられる人は少ないのではないでしょうか?
水天宮にお祀りさえている神様は、御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)とともに、安徳天皇、建礼門院、二位の尼です。御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)は神話上の神様ですが、安徳天皇、建礼門院、二位の尼は平家一門の人々です。
これらの人々がお祀りされるようになった由緒は、水天宮のHPで確認してみてください。
水天宮の本宮は、筑後国久留米にあります。
江戸の水天宮は、久留米藩有馬家の第9代藩主有馬頼徳が、文政元年に三田赤羽橋にあった有馬家の上屋敷に勧請したのが始まりです。その後、明治になって、一度青山に移転した後、明治5年に現在地に移転しました。
ちなみに、水天宮が現在鎮座している場所は、有馬家の下屋敷でした。
こうした関係があるため、水天宮近くにある小学校の名前は現在も「有馬小学校」と名付けれています。
10、 ①大田南畝
大田南畝は、狂歌が大変有名で、「寝惚先生文集」や「万載狂歌集」が有名ですが、それ以外に、様々な本を書いています。
昨年の江戸検1級に出題されたコーヒーについては「瓊浦又綴(けいほゆうてつ)」という本に書かれています。そして、今回の「夢の憂橋」は、永代橋落橋事件の起きた文化4年に出版されたものです。
大田南畝は、重要人物ですし、経歴も興味をひくものがあるので、いつかブログで書いてみたいと思っています。ただし、今年中に書けるか自信はありませんが。
なお、これに関連する過去問もあります。
第3回2級問題ですが、
文化4年(1807)の富岡八幡宮の祭礼のときに、見物の群集の重さに耐えきれずに崩落し、多数の犠牲者を出した橋は次のうちっどれでしょうか?
(い)高橋 (ろ)永代橋 (は)新大橋 (に)両国橋
この正解は、いうまでもありません。すぐおわかりになると思います。

