こんな疑問を持ちました。
そのきっかけは、昨年秋の日本橋散歩です。
日本橋は、御存知の通り、五街道の起点です。
そこで五街道の説明に関連して、江戸の人は一日に約10里歩いたことを話しました。
しかし、大名行列の場合にはどうかということは、その時は明確にはわからなかったので、調べようと思いました。
そうしているうちに、江戸検1級の過去問を調べていたら第4回の19問に次のような問題が出ていました。
加賀前田家の参勤交代行列は2000~3000人規模となり、江戸と金沢のあいだは平均して12泊13日かかりました。しかし、寛永20年(1643)4代藩主光高は江戸にいた夫人が産気づいたため、その旅程を急がせ驚異的な速さで江戸にたどり着きました。さて、何日で江戸に到着したでしょう?
(い)5泊6日 (ろ)6泊7日 (は)7泊8日 (に)8泊9日
皆様、おわかりなりますか?
どの選択肢をとっても一日当たりの移動距離はすごいことになりそうです。
これは、大名行列の移動距離を本格的に調べなくてとは思いました。
そこでいろいろな本で調べましたが、最大の石高を誇り江戸検1級の問題にも取り上げられている加賀藩前田家の大名行列について調べた本がありました。
「参勤交代道中記 加賀藩史料を読む」(忠田敏男著、東京平凡社発行)です。
「参勤交代道中記」によると加賀藩の参勤交代の所要日数は次のようになっています。なお、江戸から金沢までは、中山道・北国下街道を通行すると約120里あります。
1位 12泊13日 33 回
2位 11泊12日 17 回
3位 13泊14日 15 回
そして、 「参勤交代の発駕の日は送別の会があり、着府の日はまだ太陽の明るいうちに着いた。この両日は五里ずつ歩いたと仮定して2日で10里、残り110里を11日で歩くと、一日の平均旅程は10里である。」と書いてありました。
つまり、大名行列も、一日10里歩いていることがわかりました。
加賀藩前田家の移動距離は一日10里だと書いてありましたが、大名行列ですから、数人で移動したということはなさそうです。
それでは、どれだけの人数の行列を組んで一日10里進んだのでしょうか?
加賀藩前田家は御存じの通り、100万石の大大名です。
そのため、大名行列も大勢の人数となります。
どのくらいの人数が参勤したかについて「参勤交代道中記」に書かれています。
それによると、5代目藩主綱紀の頃が最大で4000人、享和2年(1802)12代斉広の初入国の時に3500人、享保9年(1724)6代吉徳の初入国の時が3000人、延享2年(1745)吉徳が次男の重 と同道して帰国した時が2500人だったようです。
幕末の万延元年に13代斉泰が帰国した際に魚津に宿泊した際には、合計で2238人が宿泊した記録があるそうです。
つまり、江戸検1級の問題文どおり、2000人以上の人々が行列をつくって平均一日10里移動したのです。
すごいですね。
ただし、「大名行列は、整然として進んでいったイメージがありますが、道中常に整然と進んだわけではなく、野間では槍を肩にかけ隊伍を崩して気楽な自由な足取りとなって進みました。
しかし、大きな宿場や城下・関所などを通る時は「下ニイ」という警蹕の声と共に、乱していた隊形を整え、笠は被り直し足並みを揃え、騎馬の侍は騎乗し肩にかけていた槍を立てた。」そうです。
さて、前述の問題ですが、その答えも、「参勤交代道中記」に書いてありました.。

