そして、講義終了後は、22日の江戸楽アカデミーの講義終了後の飲み会の下見を兼ねて、常連コメンテーター竹翁さんをはじめ知っている方々との飲み会となりました。
江戸の話題で盛り上がり、つい時間が経つのを忘れてしまいました。
御一緒いただいた皆さんお疲れさまでした。
飲み会が長くなり、帰宅したのが遅くなってしまい、結局大河ドラマ「花燃ゆ」を見ることができませんでした。
そこで、毎週月曜日に書いている「花燃ゆ」については、ビデオを見たのちに書くことします。
昨日の飲み会の席では、江戸検の今年のお題「江戸の祭礼と歳事」に関連していろいろな神社が話題となりました。
そして、講義で取り上げられた神社の一つの烏森神社が話題になりました。
その際に、烏森神社の近くに、塩釜神社(正式には盬竃神社)があるのですが、塩釜神社が江戸にあることがあまり知れていないことがわかりました。
この塩釜神社は、現在江戸検一級2期会でもちょっと話題となった神社です。
そこで、今日は、新橋の「塩釜神社」について少し書いてみようと思います。
塩釜神社(正式には盬竃神社)は、港区新橋5丁目にあります。
都営地下鉄三田線御成門駅から5分、JR新橋駅からは10分程度のところにあります。
塩釜神社がある場所は、江戸時代には、仙台藩伊達家の中屋敷があった場所です。
仙台藩の上屋敷は、もともと、現在の日比谷公園の東南部にありました、
しかし、そこが、明暦の大火により焼失してしまい、その地は幕府に上知されました。
そして、愛宕下にあった中屋敷が、一時、上屋敷の役割をはたしていました。
その後、上屋敷機能は、汐留にあった屋敷に移りました。
それ以降は、江戸時代を通じて、汐留の屋敷が仙台藩の上屋敷として機能しました。
東京の塩釜神社は、その汐留の上屋敷に、元禄8年に仙台藩第四代藩主の伊達綱村が鹽竈神社の御分霊を勧請したことに始まります、
塩釜神社の総本社は、宮城県塩竈市にある鹽竈神社で、陸奥国の一之宮です。
上屋敷にあった塩釜神社は、幕末になって安政3年(1856)に中屋敷に遷座されました。
それが、現在、新橋にある塩釜神社です。
塩釜神社の境内は、現在ではそれほど広い境内ではありませんが、生えている木の数は多くまた大木が多いので、都心とは思えないほど緑が豊かです。
そして、塩釜神社の前は現在は港区立塩釜公園となっておりビジネスマンの憩いの広場になっています。
赤印が塩釜神社です。そして、青印が烏森神社です。