今回の内容は、野山獄に繋がれた吉田松陰の動きと同囚の人々特に女囚高須久子の動きが描かれていましたね。
長州藩には、野山獄と岩倉獄という二つの牢獄がありました。
これには次のような事情があります。
正保2年(1645)、酒に酔った大組藩士(200石)の岩倉孫兵衛が、道ひとつ隔てた西隣りにある同じく大組藩士(200石)の野山六右衛門の屋敷に斬り込み、家族を殺傷するという事件が起こりました。
長州藩は、岩倉を野山宅に幽閉した後に斬首の刑としました。そして、喧嘩両成敗』ということで岩倉家も野山家も取り潰され、屋敷も没収されました。 その後、長州藩は両家の屋敷跡を牢獄とし、士分の者を収容する牢獄を野山獄、庶民を収容する牢獄を岩倉獄としました。吉田松陰が、野山獄に入った時には、次の11人の罪人が入獄していました。
大深虎之允(在獄47年)、弘中勝之進(在獄15年)、岡田一廸(在獄14年目)、井上喜左衛門(在獄7年目)、河野数馬(在獄7年目)、栗屋与七(在獄7年目)、吉村善作(在獄5年目)、志道又三郎(在獄4年目)、高須久子(在獄2年目)、富永 有燐(在獄2年目)、平川梅太郎(在獄1年目)
しかし、この内、実際に藩の法律を破った罪人は,2人だけで、残りの9人は親族から借牢願という申し出が出されて獄に入れられた人々でした。
吉田松陰も、形式上は、百合助から「借牢願い」が出されていました。
こうした、牢であったため、囚人同士の交流は比較的自由に行われました。
大河ドラマを見て、「罪人にしては、随分、行動が自由だなぁ」と思われた人が多いと思いますが、こうした事情がありました。
ですから、書を教え合えたり、松陰が孟子の講義を行うことができました。
さて、高須久子ですが、313石の高須家の未亡人で、当時37歳でした。
井川遥が演じていましたが、随分きれいな女囚でしたね。
このとき松陰は25歳ですので、ちょうど一回り上ということになります。高須久子は、音曲の好きな彼女は、若い三味線弾きを屋敷内に入れて親しくしたため、それを不行跡と咎める親戚の借牢願いによって野山獄に収容されたとされているようです。
しかし、その芸人は、いわゆる被差別民であったため、そのことが咎められ、高須久子は野山獄にいれられたと田中彰氏の「松陰と女囚と明治維新」に書いてあります。
この高須久子と吉田松陰の間には、淡いプラトニックラブがあったという説もあり、古川薫氏の「吉田松陰の恋」には、その様子が描かれています。
その「吉田松陰の恋」を原作として、2010年には、吉田松陰生誕180年を記念した「獄(ひとや)に咲く花」も公開されています。
こちらで、高須久子を演じたのは「近衛はな」で、吉田松陰は前田倫良が演じています。
DVDも発売されています。

