「初午」というのは、お稲荷様をお祀りする神社のお祭りです。
最近は「初午」と言ってもピンとこなくなりましたが、江戸時代には、「初午」は大いににぎわったものです。
「東都歳事記」には次のように書かれています。
江府はすべて稲荷勧請の社夥しく、武家は屋敷ごとに鎮守の社あり。市中には一町に三、五社勧請せざることなし
寺社の境内に安ずる所は神楽を奏し幤をささげ、市中にも提灯行燈をともし、五彩の幟等建てつらね、神前には供物燈火をささげ、修験禰宜を請ひて法案す、また男児祠前に集まりて終夜鼓吹す
江戸に数多くあるものとして「伊勢屋 稲荷 犬の糞」という言葉ありますが、江戸市中に稲荷社は数多くありましたので、初午のにぎわいはものすごかったようです。
東都歳事記の記述により、一晩中にぎやかであった様子がわかります。
近世風俗志(守貞謾稿)にも次のように書いてあります。
江戸にては、武家および市中稲荷祠ある事、その数知るべからず。諺に、江戸に多きを云ひて 伊勢屋・稲荷に犬の糞、と云うなり、今日、必ず皆、この稲荷祠を祭る。(後略)
それでは、なぜ、この日が稲荷神社のお祭りなのかというと
稲荷社の本社である伏見稲荷大社のご祭神・宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)が稲荷山へ降りた日が和銅4年(711)2月の初午の日であったことから、全国の稲荷を祀る神社でお祭りが行われるようになりました。
また、「稲荷」という社名についてですが、
伏見稲荷大社のご由緒をみると
当社の起源については「山城国風土記」の逸文に《秦中家ノ忌寸等の遠祖、伊呂具秦公の的にして射た餅が白鳥と化して飛び翔けり、その留った山の峰に“稲”が生じた奇瑞によって、イナリという社名になった》とあります。
(中略)
山城国風土記の逸文には、イナリを「伊奈利」と記しています。イナリとは、イネナリ・イネニナルのつづまったもので、人間生活の根源であった稲によって、天地の霊徳を象徴した古語とされています。「伊奈利」を稲荷と書くにいたった最初のものは、類聚国史の淳和天皇の天長4年(827)正月辛巳の詔ですが、扶桑略記の和銅6年(713)5月甲子の條に《諸国郡郷名著好字、又令作風土記》とあることよりすれば、風土記撰進のときには、すでに「稲荷」なる“好字”が用いられていて、風土記に「伊奈利」とあるのは、その原史料にあった古い用字法が活用されたものと思われます。
と書かれています。
簡単にいうと、「イナリ」という言葉は、「イネナリ」つまり「稲成り」または「イネニナル」つまり「稲に成る」という言葉からきたもので、当初は「「伊奈利」と書いていましたが、「稲荷」という好ましい字を使うようになったということのようです。
お稲荷様は、社名の由来からわかるように本来は農耕の神様のようです。
旧暦2月の初午の日は、新暦では3月にあたります。その時期は、ちょうど稲作を始める時期だったため、農耕の神様を祭るようになったのではないでしょうか。
それが、正月の初午でなく、2月の初午をお稲荷様のお祭りにした理由のような気もします。