王子稲荷神社は、JR王子駅から徒歩6分程度のところにあります。
「東都歳事記」の初午の項には、関八州稲荷の司なりといへり、前日詣人群をなす。
と書かれています。
「江戸名所図会」にも初午の賑わいについて次のように書かれています。
当社は遥かに都下をはなるるといえども、つねに詣人絶えず。月ごとの午の日にはことさら詣人群参す。二月の初午にはその賑わひ言うもさらなり。(後略)
王子稲荷神社は、千年もの昔に、「岸稲荷」として創建され、社記には「源頼義が奥州追討時に深く信仰し関東総司とした」とあるそうです。「江戸名所図会」にも次のように書いてあります。
王子権現社北の方にあり、往古は岸稲荷と号けしにや。いま当社より出だすところの牛黄宝印にしか記せり
そして、時代が下り、豊島氏が紀州の熊野神社を勧請し、王子神社を祀った処から地名も王子となり、神社名が王子稲荷神社と改称されました。
江戸時代には、徳川将軍家の祈願所となり、3代将軍家光は、寛永11年に社殿を造営し、その後、5代将軍綱吉により元禄16年、10代将軍家治により天明2年に修繕された後、11代将軍家斉が文政5年に、社殿を再建しました。本殿は、昭和20年の空襲で焼失しましたが、拝殿は焼失を免れ、現在も、文政5年の姿を残してくれています。
王子稲荷神社は、初午には、初めてお参りしましたが、参詣する人が大勢なのに驚きました。
旧参道には、屋台が並び、参拝する行列は、200mも並んでいました。
待ち時間1時間と言われるほどでした。
最上段が参道のにぎわい、2段目が山門前に並ぶ人々、3段目が、文政5年建立の拝殿の前の様子です。
いずれもすごい人々です。

初午の日には、王子稲荷神社で「凧市」が開かれます。「凧市」は、江戸時代中期から始まっているそうです。
当時、江戸のまちはよく火事に見舞われ、風が大火につながることから、風を切って上る凧を火事除けのお守りにと、民衆が同神社の奴凧を「火防の凧(ひぶせのたこ)」として買い求めたのが始まりだそうです。
初午には、神社からは「火防けの凧守」が1体1,300円で与されていましたので、お授けいただいてきました。
火を使う所や神棚に北を向けないで飾るとよいとのことです。
また、境内でも社務所近くには、凧屋が店を出しています。
小さいものは1080円で、手ごろでもありますので、凧を買っていく人がいました。
神社の史料館には「額面著色鬼女図」があり、初午の日には、それが公開されます。これは、天保11年(1840)、江戸の住吉明徳講(東京砂糖元売商組合の祖)が柴田是真に委嘱して描かせ、業界の守護神と崇敬するこの神社に奉納した絵馬だそうです。
渡辺綱に腕を切られた羅生門の鬼が、渡辺綱の叔母に化けて館を訪れ、すきをみて切られた腕を持って逃げる姿を図にしたものです。また、谷文晁の龍の絵も展示されてあります。
谷文晁の龍の絵は、拝殿の天井を飾っていてものですが、現在は史料館に収納されています。

