講座の中では、模擬試験への取り組みも大切だということをお話し、模擬試験も出題しようと思っています。
そのため、模擬試験の準備もしていますが、その準備の中で、「初午」を調べていたら「このしろ」についておもしろいことをみつけました。
そこで、今日は「このしろ」について書いていきたいと思います。
「このしろ」は、成長とともに呼び名が変わる出世魚で、「しんこ」「こはだ」「なかずみ」「このしろ」と名前が変わります。
「こはだ」は、すしネタとしておなじみの魚で、私もよく注文するネタです。
この「こはだ」が成長すると「このしろ」と呼ばれます。
「このしろ」は江戸時代は、「『此の城』を食べる」あるいは「『此の城』を焼く」を連想するため嫌われました。 また、切腹の際に出されるため、「腹切魚」と呼ばれて敬遠されたとも言われます。
江戸検1級のテキスト「博覧強記」の中でも、将軍の食膳にのぼらない食材の一つにあげられています。
「塵塚談」という本には「武士は決して食わざりしものなり」とあるようですので、本当に嫌われたようです。
その魚が意外にもお稲荷さんの供物として供えられたのです。
このしろが 鯛になるのも 御縁日
このしろの 前で額づく 賑やかさ
という川柳があります。
この川柳は、「初午」の日に「このしろ」を食べて祝ったことを詠ったものです。
庶民は、子が代々と引き継がれるようにという縁起から、これを稲荷祭の供物としたそうです。
また、狐がこのしろを好んだので、お稲荷様にお供えしたという説もあるようです。
よく調べると、「このしろ」は必ずしも嫌われていたわけではないようです。
太田道灌が、江の島参詣の帰えり、船の中へ「このしろ」が飛び込んできました。
そこで道灌は、「九城(このしろ)が我が手に入る。これは吉兆なり。」と喜んだといわれます。
その「九城」の一つが江戸城だそうです。
ですから、太田道灌にとって、「このしろ」は、喜ばしい魚だったのだと思います。
また、 「このしろ」を漢字で書くと 「鰶」 と書きます。 つまり「魚偏」に「祭」です。
昔は、祭りに関係する縁起の良い魚であったであろうことを推測される漢字の構成になってるように思います。
今までは、「このしろ」は嫌われものと思っていましたが、ちがう面もあるんですね。
思いがけず、勉強になりました。
最後に、川柳をもう一つ
このしろで 禰宜(ねぎ)の呑んでる 未の日
未の日は、午の日の翌日ですから、初午の翌日に、お稲荷様に供えられた「このしろ」を酒の肴にして、神職が酒を呑んでいる様子を詠んだものです。