今回は、90分では、時間が少なすぎて、一方的に私が話すだけで、講義中は受講されている方と全く会話ができませんでした。
しかし、メールでやりとりしていた方にお会いできましたし、新たに、①情報交換会にご参加いただいた方、②会場で名刺や連絡先をいただいた方、③お礼のメールをいただいた方 など、大勢の方々とお知り合いになれ、大変有意義な講義でした。
受講いただいた皆様、改めて御礼申し上げます。
昨日は、江戸楽アカデミー終了後ののんびりした気分で、大河ドラマ「花燃ゆ」を見ました。
今回は、高杉晋作が主人公でした。
高杉晋作は、久坂玄瑞と並んで、松下村塾の龍虎、双璧とも言われる人物ですし、維新回天の原動力となった人物です。高杉晋作が、松下村塾に入塾した際、「花燃ゆ」でも描かれていたように、漢詩を披露しましたが、吉田松陰は、その出来栄えを久坂玄瑞より劣ると評価したようです。
このエピソードは、司馬遼太郎の「世に棲む日日」、池宮彰一郎の「高杉晋作」、三好徹の「高杉晋作」、いずれにも描かれています。
しかし、松陰は、高杉晋作を能力がないと評価していたわけではなく、入塾の時から、高く評価していたようです。
高杉晋作が入塾したことを、「世に棲む日日」では
奇士が、二人になった。
と、松陰はおもった。
「松下村塾の目的は、奇士のくるのを待って、自分(松陰)のわからずやな面を磨くにある」
とかねて友人たちに洩らしている自分の塾の目的にみごとにかなった人物が、久坂のほかにいま一人ふえたという思いが、松陰をひそかに昂奮させている。
と書いてあります。
この高杉晋作が、後に、安政の大獄で刑死した吉田松陰の遺骸を小塚原の回向院から世田谷の現在の松陰神社に改葬し、さらに、第一次長州征伐後に、「花燃ゆ」にも出ている椋梨藤太が中心となっていた保守政権を倒し、長州藩での討幕運動を本格化させることになります。
このお話は、「花燃ゆ」では、これからのお話です。
さて、松下村塾で、どのような教育が行われていたか、海原徹氏の「吉田松陰」で詳しく書かれていますので、そのポイントを書いておきます。
第1は、「徹底した平等主義」です。
吉田松陰の教育は、身分、年齢、性別など一切問いませんでした。
従って、当時、足軽身分であった後の初代総理大臣伊藤博文(「花燃ゆ)では伊藤利助)も入塾できたのです。
第2は、「個性尊重 ― 一人一人を生かす教育」です。
吉田松陰は、さまざまなタイプの人間をそのまま認め、各人の個性や能力にふさわしい教育を行ったそうです。
第3は、「勉学の目的を問う」です。
これは、今回の「花燃ゆ」で、高杉晋作が松陰から問われていましたが、このことは、全ての入塾希望者に問われたようです。
いずれをとっても、現代の教育にもあてはまることで、それを実践していた吉田松陰の教育の素晴らしさに驚かされました。

