そして、3月3日は、雛祭りとともに、潮干狩りの日でもありました。
新暦の3月3日は、とうに過ぎていますが、旧暦の3月3日は、まだ到来していません。
潮干狩りの時期は、これからですので、今日は、旧暦3月3日の潮干狩りについて書こうと思います。
守貞謾稿には、次のように書かれています。
三月三日
上巳と云ふ。また桃花の節なる故に、婦女子は桃の節句と云ふ。
今世、今日、大坂は住吉、江戸は深川洲先等に汐干狩群衆す。
今世、今日、三都とも女子雛祭す
東都歳事記には、
三月三日
汐干 当月より四月に至る。其内三月三日を節(ほどよし)とす。(後略)
と書いてあります。
そして、潮干の適地を芝浦・高輪・品川沖・佃島沖・深川洲崎・中川沖を挙げたうえで
早旦より船に乗じてはるかの沖に至る。卯の刻過より引き始めて午の半刻には海底陸地と変ず。ここにおりたちて蠣蛤を拾ひ砂中のひらめをふみ引き残りたる浅汐に小魚を得て宴を催せり
と書かれています。
そして、「深川洲崎 汐干」と題して、下記のような挿絵が載っています。
☆上の画像をクリックしていただくと拡大したものがご覧になれます。
左手前にあるのが洲崎神社です。
洲崎神社は、元弁天社と称し、進む元禄13年(1700)に、護持院隆光の力で、江戸城中紅葉山にあった弘法大師作と伝えられる桂昌院の守り本尊をここに祀り、洲崎弁天社と称したことにはじまります。
江戸時代は、洲崎は風光明媚なことから、文人墨客や江戸っ子が遊びに来た場所で、高級料亭の「升屋」があったのも洲崎です。
ところで、なぜ3月3日が潮干狩りなのでしょう。
江戸時代は、太陽太陰暦を使用していて、月の動きが基本となっていました。
そのため、毎月3日は、月の形は三日月となります。
一方、海水の高さは、太陽と月の位置関係により、上下します。
そして、太陽と月と地球がほぼ一直線となる新月の頃と満月の頃、海水の高低差が大きくなります。
海水の高低差が大きいことを大潮といいますが、新月すなわち朔日(ついたち)の頃は、高低差が大きくなり、大潮になります。
そのため、旧暦の3日は、潮干狩りに適していたということになります。
ただ、それであれば、新月周辺の日であれば、いつでも潮干狩りに適しているのであって、3月にこだわることはないと思います。
3月3日が、潮干狩りの日とされたのは、別の理由がありそうです。
その答えが、平凡社東洋文庫の「東都歳事記」の注解に書いてあります。
注解には、汐干は、もともとは、祓の雛を流すための水辺の行事から展開したものだろうと書いてあり、近代では「磯遊」とも称したと書いてあります。
つまり、もともとは、雛祭りの一環として行えわれていた行事が、段々、水辺で遊ぶ行事に変化していたったようです。
ですから、「潮干」は3月3日であるということになります。
また、今年の旧暦の3月3日は、4月21日です。
これでわかるように、現在の3月3日より、大分暖かくなっていて、野外で遊ぶのによい気候となります。
こうしたことも理由の一つでしょう。
【 3月15日追記】
3月3日が、汐干とされた理由に、さらにもう一つ思い至りました。
それは、潮干狩りの主なねらいであるアサリやハマグリの旬が春先であるということです。
アサリの産卵期は、春と秋だそうで、その頃がおいしそうです。
確かに、最近、スーパーに行くとアサリが結構売られていますね。
そして、ハマグリは春が旬だそうです。
従って、旧暦の3月3日ごろに撮れるアサリやハマグリは美味しいわけです。
こうしたことも、3月3日が潮干狩りに最適とされて理由なんではないでしょうか。
この3月3日の潮干狩りを取り上げた時代小説と映画があります。
小説は吉村昭氏の「桜田門外之変」、映画はそれを原作とした大沢たかお主演の「桜田門外之変」です。
水戸浪士たち18人が井伊大老を桜門外で暗殺した後、現場指揮者の関鉄之助は、現場を離れ、品川に戻り、人目を避けるために、潮干狩りをあてあてにしていたものの生憎の大雪のため利用客がいない舟の中で、夕刻まで過ごす場面があります。
その中で、品川沖の潮がどのように変化していくか、吉村昭氏は丁寧に描いています。
ちょっと長くなりますが、その場面を下に書きます。
鉄之助は、その舟に近づき
「親爺さん」
と声をかけた。
漁師が顔をこちらに向けた。
「昨夜、妓楼に登楼し、今日の潮干狩りを楽しみにしていたが、あいにくの雪だ。せめて舟のなかで一杯やりたいと思ってきたのだが・・・」
「雪見酒ということですかい。酒も肴も用意してあるから、お入りなさい」
(中略)
漁師は、焼いた小魚と蛤の煮つけを椀に盛って二人の前におくと、再び煙管を手にして海に眼をむけた。
その方向をながめた鉄之助は、あたりに海の水がみえず、舟が砂地の上にのっているのに気づいた。雪が積もっていて、海面かと思ったが、海水がみえるのはかなりはなれた場所だった。
「潮がひいているね、親爺さん」
鉄之助は、海水に眼をむけていった。
「卯の下刻(午前7時)からひきはじめて・・・。午の刻(午前12時)になれば、お台場の先まで干上がるよ」 漁師は顔を動かさずに答えた。
*注 前記の東都歳事記通りの記述となっていますね。
(中略)
九ツ(午前12時)すぎには、潮がすっかりひいて遠い沖まで陸地のようになり、そこも雪で白くなった。
やがて、雪は小降りになり、八ツ(午後2時)すぎにはやんだ。
その頃から、少しずつ潮がさしはじめ、それにつれて干潟の雪の白さも消えていった。
薄日がさし、やがて、あたりが暗くなった。
この場面は、映画「桜田門外之変」でも描かれています。
ご興味をもった方、小説や映画の「桜田門外之変」を見てください。
映画「桜田門外之変」はDVDで見られます。(右参照)
おすすめです。