今日は、先日出題した模擬試験の正解をアップします。 今回の問題では、6番の問題は、かなり難しい問題だと思いますが、それ以外は、それほど難しくないと思いますし、インターネットで検索すると正解はすぐにわかったのではないかと思います。
1、②帝国ホテル 
現在、山下橋の名残りを残すものは、まったくありません。
そうした中で、山下橋の目印として最もわかりやすい建物が帝国ホテルです。
帝国ホテルの東側のJRのガード名に「山下橋架道橋」という名前がかろうじて残っています。(右写真参照)
従って、山下橋があった場所近くにあるホテルは帝国ホテルです。
2、 ①聖徳太子
これはすごく簡単だっただろうと思います。
漢字をみただけで「聖徳太子」だとわかりますよね。
「太子講」の場合の「太子」は、「聖徳太子」の字をとって「太子」と書きます。
「両大師詣」の場合には「大師」と書きます。
選択肢に挙げた慈恵大師と慈眼大師が、上野寛永寺の「両大師堂」にお祀りされています。
3、 ②立夏
一年間は365日です。これを24に分けていることから、二十四節気は、ほぼ365日÷24=15.2日となり、ほぼ15日間隔で巡ってくることになります。
従って、45日後というのは、春分から3個目の二十四節気ということになり、春分、清明、穀雨、立夏というふうになりますので、正解は立夏ということになります。
4、 ④阿蘭陀
石町の鐘は( 阿蘭陀 )まで聞こえ
長崎屋は、もともとは薬種問屋でしたが、オランダ商館長が江戸に参府する際には宿舎となりました。
現在、新日本橋駅の室町3丁目北東の出口に、右写真のような「長崎屋跡」の説明板が設置されています。
その長崎屋のすぐ北側に、石町の鐘がありました。
そうしたことから、上記の川柳が詠まれました。
5、 ④
前回も書きましたが、守貞謾稿の挿絵は重要項目です。
しかも、雛の種類は要チェック項目ですので、雛の区別ができるようにしっかり覚えておきましょう。
ちなみに①は室町雛 ②享保雛 ③次郎左衛門雛 です。
6、 ②朝早く行くように言った
これはかなり難しいと思います。即答で回答できる人はほとんどいなかったのではないかと思います。
曲亭馬琴の「兎園小説余録」の中の「深川八幡宮祭禮の日永代橋を踏落して人多く死せし事」に次のように書かれています。
予が妻の所縁ありける山田屋という町人、当時深川八幡門前におり、このものかねてより祭りの日には子達攜(つれ)て来ませなどと言われしに、(中略) 子どもに観するもよかるべしと思いしかば、その前夜妻に誨(おし)へていうよう。翌祭を観にいなば、朝とくいづべし (中略) 朝の出立はやからば、さまで群集すべからず。
つまり、永代橋は古くなっていていつ落ちるかわからない状況にあり、富岡八幡宮の祭礼で大勢の人が、永代橋をわたると危ないから、朝早いうちにでて、大勢の群衆がわたるような時間をさけろと奥さんに忠告をしました。
そのため、奥さんと子供は、朝早く出かけ、落橋事件が起きた時刻には、永代橋を渡り切っていました。
そうして、馬琴の妻と子供は助かったと書いています。
7、 ③菅原道真の母の夢に白牛が現れ、生まれた子供が道真だったから
天神様は、祭礼の面からも歳事の面からも注意しておいた方がよい神社だと思い、天神様に関係する問題として、この問題を出題しました。
特に亀戸天神については、いろいろな問題が考えれられますので、これから、よく調べておいてたほうがよいと思います。
さて、天神様のお使いとして牛の像が、多くの天神様に置かれていますが、その理由は諸説あります。
菅原道真が生まれたのは、承和12年(845)6月25日で、その日は乙丑(きのとうし)でした。
従って、①は正しい選択肢です。
なお、道真が亡くなったのは 延喜3年(903)2月25日で丑の日であったそうです。
そして、菅原道真がなくなった時に、菅原道真の遺体を運ぶ牛車がまったく動かなくなったため、そこに遺体を埋葬しました。それが現在の太宰府天満宮だと言われています。
従って②も正しい選択肢です。
菅原道真は、亡くなった後に、「天満大自在天神」という神様の位を贈られました。
自在天は、ヒンドゥー教のシヴァ神を仏教に取り込んだ神様ですが、仏教におけるお姿は、八本の腕と三つの眼を持つ八臂(はっぴ)三眼で、白い牛に跨がるとされています。 そこから、天神様と牛が結びつけられたとも言われています。
従って、④も正しい選択肢です。
8、①尾張町
北朝室町 南朝( 尾張町 )
守貞謾稿の雛市の項に
2月25日より3月4,5日比(ころ)まで、江戸十軒店および尾張町・麹町等 (中略) 仮店を列す。
と書いてあります。
また、東都歳事記には、2月25日の項に
「今日より3月2日まで雛人形同調度の市立」と書かれ、その後に「十軒店本町、尾張町、人形町、浅草茅町、池の端仲町、牛込神楽坂上、麹町三丁目、芝神明前」が挙げられています。
東都歳事記に挙げられている地名でわかりにくいのは尾張町だと思います。
尾張町は、現在の銀座5丁目にあった町名です。
前記の川柳に載っている「室町」は十軒店のことを指しています。その十軒店から日本橋を過ぎて東海道を南下すると尾張町になります。
従って、室町が北にあり、尾張町が南にあることになりますので、前記の川柳が詠まれました。
9、 ④和中散
代表的な浮世絵の一つの名所江戸百景を再び問題として取り上げましたが、これからも名所江戸百景は取り上げていきたいと思います。
「蒲田の梅園」は、江戸の有名な梅園でした。
江戸っ子は、梅の季節には大勢梅見に出かけたようです。
この「蒲田の梅園」と並んで有名な梅園に「亀戸の梅園」があります。
ここには、有名な梅の木「臥龍梅」があり、歌川広重も名所江戸百景の中で、「亀戸梅屋敷」として書いています。
こちらも、よく覚えてきたい浮世絵です。この臥龍梅は、水戸光圀の命名したものと言われています。
和中散は、暑気あたり・食あたりなどに効く漢方薬で、『江戸名所図絵』にも大森で和中散を売る店の風景が描かれています。
①屠蘇散は、お正月に飲む「お屠蘇」であり、②反魂丹は、胃痛、腹痛の時に服用する薬で富山の薬の原点と言われている薬です。
③錦袋円は、痛み止め・気付け・毒消しなどに効く薬で、下谷の勧学屋が売っていました。
10、②大黒様
今年のお題の「江戸の祭礼と歳事」に神様の名前まで出題されるか微妙ですが、有名な祭礼がおこなわれる神社の神様は覚えておいたほうが安心です。
特に、天下祭の山王権現、神田明神、根津権現は最低覚えておいたほうがよいと思います。
天下祭が行われる神社がお祀りしている神様の中で、もっとも簡単な神様を出題しました。
神田明神をお参りしたことのある方は、すぐにわかったことだろうと思います。
神田明神の境内には、右写真のような大黒様の大きな石像があるのは、神田明神の御祭神が大黒様だからです。
4月18日に、毎日文化センターの神田明神散歩がありますが、その際には、大黒様をご案内する予定です。

