「二十六夜待ち」を詠んだ川柳に次のような川柳があります。
一寝入り 寝て 高輪は月見なり
二十六夜は月齢26の月ですが、月齢26の月の出は、深夜1時から2時ごろになります。
そのため、一寝入りしてから月見をすると詠んでいるわけです。
三尊の弥陀を生酔い拝むなり
阿弥陀三尊をよっっぱらいながら拝むということで、信仰心より娯楽の面が強い「二十六夜待ち」を詠んでいいるのでしょう。
さらに、次のような川柳があります。
車座に 紺の手の出る 六夜待ち
月の出を 空色の手で 拝むなり
六夜待ち 百染ほどな 手を合わせ
海上を 百染ほどの 手で拝み
やたらに「紺」や「空色」の手が詠まれています。
また「百染の手」というのも出てきます。「百染」というのは安っぽい染色をいい、紺色にならない空色を指した言葉です。
こうした手をしているのは紺屋の職人です。
これらの川柳は、紺屋の職人が「二十六夜待ち」に大勢集まったものを詠んだ川柳です。
二十六夜には、紺屋では、愛染明王をお祀りしたそうで、紺屋を中心に「六夜待ち」という講も結成されていたそうです。
愛染明王は、もともとはインドの神様で梵名は「ラーガ・ラージャ」といい、「ラーガ」とは赤色・愛欲を意味することから「愛染明王」と訳されました。
愛染明王の全身は赤色に塗られ、三目六臂(三つの目と六本の腕)の姿で、獅子の冠を戴き、不動明王のように忿怒の形相をしています。
愛染明王は、その「愛染」という名前から、愛情を染め付けるという意味に理解され、女性の恋や愛に関する霊験が強調されました。
そのため、江戸時代は遊女たちの信仰をあつめ、現在でも、水商売の女性たちから信仰を得ているそうです。
一方、「愛染」という名前は「藍」を「染める」とも読めることから紺屋(染色業者)の信仰も集めました。
そして、愛染明王の縁日が26日であったこともあって、愛染明王信仰が二十六夜待ちと習合し、紺屋が26日に愛染明王をお祀りするようになったようです。
宮田登著「江戸の歳事記」によれば、藍玉問屋は江戸に36軒あって株仲間を構成し、これらにそれぞれ紺屋が関係していたそうです。
そして、江戸だけでなく各地方都市の紺屋仲間たちが一斉に愛染明王を信仰していて、愛染明王は紺屋という職業集団の神様だったそうです。
東都歳事記には、7月26日に「板橋日曜寺愛染明王開帳」とも書いてあり、26日に、愛染明王が信仰されていたことを記録しています。
東都歳事記に載っている板橋の日曜寺は、正徳年間の開山といわれ、享保年間には、8代将軍の次男である田安宗武の帰依をうけていた寺院だそうです。
ついでながら、田安宗武が屋敷を構えた田安台は高台にあることから、二十六夜待ちの名所にもなっていました。

