昨日は、江戸楽アカデミーの「過去問題からみる『江戸博覧強記』勉強の実践的ポイント」というタイトルの講座で「博覧強記」の勉強の仕方についてお話してきました。
7月12日開講として募集した講座に対する希望者が多くて追加で開講することにした講座です。
当初の予定では8月9日に予定していましたが諸事情により昨日開講とさせていただきました。
講義の内容は7月12日に開講した講座と同じで、江戸検1級の過去問を分析した結果に基づく「博覧強記」の勉強の仕方についてお話しました。
受講された皆様は大変熱心にお聞きいただきました。
受講された皆様ありがとうございました。
昨日の講座では、過去問を勉強することの重要性とともに模擬試験などに取り組むことの重要性についてもお話させていただき、具体的に「江戸の祭礼の歳事」について模擬試験を出題して解いていただきました。
本日は、昨日の講座で出題した模擬試験をアップします。。
第6問以外は、すべて参考図書「江戸の祭礼と歳事」から出題していますので挑戦してみてください。
正解は、9月2日(水)にアップしますが、正解がわからない場合には「江戸の祭礼と歳事」を確認されても事前に正解はお分かりになると思います。
1、江戸時代、力士たちは相撲年寄によって部屋ごとに統括されましたが、大名のお抱えとなる力士もいました。
彼らは、藩から士分の格と衣服や刀などを贈られ、手当も支給されました。
それでは、次の力士と抱えた藩の名前が正しくない組合せはどれでしょう?
①谷風梶之助 - 仙台藩
②小野川喜三郎 - 久留米藩
③雲龍久吉 - 柳川藩
④不知火光右衛門 - 出雲藩
2、明和三美人の一人として有名な「笠森お仙」が門前の茶屋にいたことで有名な笠森稲荷は、寛政5、6年には疱瘡平癒を願う願掛けが流行りました。
それでは、願いが叶って疱瘡が治った際には、何を供えたでしょう?
①米の団子 ②土の団子 ③柳の楊枝 ④櫛
3、「浅草田圃なる立花左近将監鑑寿が別野の鎮守稲荷の社(略)利生あらたなりとて、江戸幷に近在の老若参詣群参する事夥し」(『徳川実紀』)
これは天明から享和期にかけて、大流行した神社に関する記述です。一時沈静化したものの、再び天保期に大流行したこの神社は、どこでしょう?
①翁稲荷 ②黒田稲荷 ③太郎稲荷 ④三崎稲荷
4、最初の富士塚は、安永8年頃に食行身禄の弟子の植木職人藤四郎が築いたとされています。
それでは、江戸における最初の富士塚が築かれた神社はどれでしょう?
①駒込富士神社 ②水稲荷神社
③鉄砲洲稲荷神社 ④品川神社
5、開帳は、時代が下がるとともに秘仏や宝物だけでなく奉納物にも関心が集まるようになり開帳奉納番付も作られるようになりました。
嘉永5年に行われたある神社の居開帳の際にも開帳奉納番付がつくられました。その開帳奉納番付に紹介された石灯籠・百度石・撫で牛などは現在も残されています。
この神社は次のうちどれでしょう?
①谷保天満宮 ②湯島天神 ③平河天満宮 ④亀戸天満宮
6、下の絵は、伊勢神宮内宮の入り口にある宇治橋の様子を描いたもので、川のなかで網をもった人たちが描かれています。
さて、この人たちはいったい何をしているのでしょう?
①橋の上から投げ込まれる銭を受け取っている
②食べるとご利益があるという鯉を捕っている
③神聖な川として清流を保つため川底を掃除している
④霊験あらたかと伝わる川底の石を拾い参拝客に売っている
7、浅草寺の仁王門は、昭和20年の戦災で焼失してしまいましたが、江戸時代には、仁王門の仁王尊も願掛けの対象となりました。
ふだん仁王門は施錠されており仁王尊に近づけませんが、毎月8日だけは「股くぐり」が許されました。
それでは仁王尊には何の願懸けをしたのでしょう?
①盗賊除け ②疱瘡 ③歯痛 ④怪我除け
8、江戸での出開帳が最も多かったのは成田山新勝寺で江戸時代を通じて12回ありました。
成田山新勝寺の出開帳は、平井村燈明寺で1回行われましたが、それ以外はある寺社で行われました。
それは次のうちどれでしょう?
①深川永代寺 ②本所回向院 ③湯島天神 ④大塚護国寺
9、狐憑きに霊験があるとされた稲荷は次のうちどれでしょう?
表面を黒く塗りつぶした独特な札が江戸で人気がありました。
また、江戸時代には、外神田にありましたが現在は両国に鎮座しています。
①芭蕉稲荷 ②柾木稲荷 ③津軽稲荷 ④能勢稲荷
10、佐倉惣五郎伝説によれば、佐倉惣五郎は、佐倉藩堀田氏の苛政に苦しみ、堀田氏への門訴や老中への駕籠訴を行い、最終的には4代将軍家綱に直訴したため、惣五郎と家族が死罪になったとされています。
それでは、この時の佐倉藩の藩主は、次のうち誰だったでしょう?
①堀田正盛 ②堀田正信 ③堀田正亮 ④堀田正睦