江戸検の今年の「祭りだわっしょい 江戸の祭礼と歳事」を読むと新しい発見があります。
その一つに、「江戸神仏願懸重宝記」というパワースポットについて書いた本があります。「江戸の祭礼と歳事」では、この本について一章割いあり、かなりのウエイトで紹介されています。
この「江戸神仏願懸重宝記」は文化11年に出版されたものですので、ここに紹介されている神仏も、当然、現在はなくなってしまったものもあります。
その一方で、なんらかの形で残されているものもあります。
しかし、その神仏は、現在では、忘れ去られたかのように、ひっそりと祀られています。
私も、「江戸神仏願懸重宝記」というパワースポットガイドに載っているなどということは露しらずにお参りしていた神仏がいくつかあります。
江戸検を受検される方は、これから、これらの神仏を参拝する余裕はないと思います。
そこで、かつて参拝した際の写真をベースに、「江戸神仏願懸重宝記」に載っている小さな神仏を少しずつ紹介していきます。
最初は「高尾稲荷」です。
「高尾稲荷」は、東京メトロ「茅場町駅」から徒歩7分の永代橋の西側にあります。
高尾稲荷は、赤穂浪士の引き上げルートのガイドのため永代橋を下見した時に参拝しました。
もう永代橋を下見した頃には、日が暮れていましたので、右の高尾稲荷の写真も夜景の中です。
「高尾稲荷」は、新吉原の名妓2代目高尾大夫をお祀りした神社です。
高尾大夫という遊技は、新吉原の三浦屋四郎右衛門の見世で代を重ねた名跡です。
そのうちの2代目高尾大夫は「万治高尾」などと呼ばれて諸芸に通じた名妓でした。
どうして2代目高尾大夫が祀られたかについて、次のような言い伝えがあります。
2代目高尾大夫は仙台藩主伊達綱宗に寵愛され大金とつんで見請けされました。
しかし、高尾大夫は綱宗の意に従わなかったため、ついに怒りを買って身請けされる途中に、隅田川の三又(みつまた:現在の中洲)あたりの船上にて吊り斬りにされ、川中に捨てられてしまいました。
その遺体が隅田川西岸の北新堀河岸に流れ着き、高尾大夫を憐れんだ人たちによって祀られたのが高尾稲荷だと言い伝えられています。
この高尾稲荷が、「江戸神仏願懸重宝記」の冒頭に載っています。
「江戸神仏願懸重宝記」で、高尾稲荷は『頭痛平癒』の願懸けに霊験あるとされています。
頭痛平癒を願う人は、高尾稲荷から小さな櫛を1枚借り受けて朝夕「高尾大明神」と祈って髪を撫でつけ、病気が平癒したら、新しい櫛を一枚添えて高尾稲荷に奉納するとしてあります。
赤印が「高尾稲荷」です。IBM箱崎ビルが目安になります。

