「江戸神仏願懸重宝記」の2回目ですが、今日は、「石の婆々様」を紹介します。
「石の婆々様」は、元は築地の稲葉家の屋敷内にありましたが、現在は向島の弘福寺にあります。
弘福寺は、東武線「東京スカイツリー駅」から13分程度かかります。
弘福寺周辺には、三囲神社や長命寺など、さらに「長命寺の桜餅」や「こととい団子」など和菓子の老舗があり、何回も墨堤散歩でご案内をしたことがあります。
その際に弘福寺もご案内したことがあります。
弘福寺は、隅田川七福神の一つ布袋尊が祀られていたり、中国様式の本堂(大雄宝殿:右写真)、与板藩井伊家寄進の梵鐘•池田冠山墓があり、史跡に事欠きません。
また、弘福寺は、稲葉正則が開基のお寺で稲葉家と縁の深いお寺です。
その弘福寺の境内に「石の婆々様」があります。
弘福寺では、「翁媼尊(じじばばそん)」とよばれていて、二つの石像が祀られています。
その説明板には、次のように書かれています。
この石像は、風外禅師(名は慧薫、寛永年間の人)が、相州真鶴の山中の洞穴に於いて求道して居た所、禅師が父母に孝養を尽くせぬをいたみ、同地の岩石を以って自らが刻んだ父母の像です、禅師は之を洞穴に安置し恰も父母在すが如く日夜孝養怠らなかったといわれております。小田原城主当山開基稲葉正則公が、その石像の温容と禅師の至情に感じ、その放置されると憐れみ城内に供養していましたが、たまたま同公移封の為小田原を去るにあたり、当寺に預けて祀らしめたものです。尚、古くよりこの石像は咳の爺婆尊と称せられ、口中に病のあるものは爺に、咳を病むものは婆に祈願し、全快を得た折には煎り豆と番茶を添えてその礼に供養するという風習が伝わっております。
こうした説明板もあることから、この石像が咳や口の病に信仰されていたというのを知っていました。
しかし、「江戸神仏願懸重宝記」に載るほど江戸っ子に信仰されていたとは知りませんでした。
「江戸神仏願懸重宝記」には、つぎのように書かれています。
木挽町つきぢ稲葉公の御屋敷に年古き石にて老婆のかたちを作りなしたる石像あり、諸人たんせきのうれひをのがれんことを願かけするに、すみやかに治する。願ほどきは、豆をいりて供ずるなり、小児百日ぜきすべて咳になやむ人これを信ずること往古よりの事なりとて諸人これを石の婆さまと称す。
ちくま学芸文庫「江戸のはやり神」の中で、宮田登氏は詳しく書いています。
それによると、三途川で亡者の衣類をはぎとる奪衣婆は、三途川に関所を設けていることから関(石)の婆という呼び名があり、この関を咳と読みかえて、咳の婆さんと呼ばれ、子供の咳の病いに願かけすれば治るといわれているといわれていたと書いてあります。
さらに「江戸のはやり神」には
咳の願かけの時は、かならず豆やあられなどの煎り物を煎じ茶とともに供えた。霊験あらたかな願掛けの仕方は、はじめに婆さんに咳を治してくださいと頼み、ついで爺さんのところへ行って、婆さんだけではおぼつかないから何分よろしくと祈願するのがよいといわれていたという。
明治に入ってからは稲葉家の菩提寺の弘福寺に引き移されて、咳の神であるよりは、腰から下の病気に霊験ありといわれるようになって、供物に履物などが供えられていたという
と書いてあります。
長命寺の桜もちを食べに行ったり、三囲神社に参拝したら、近くの弘福寺にも寄ってみてください。
赤印が弘福寺です。
ピンクが長命寺桜もちで、青が三囲神社です。

