江戸検を受検される皆様向けの夏から秋にかけての講座が9月20日の江戸楽アカデミーをもってすべて終了しました。
江戸検を受検される皆様はこれからが受検勉強の本番になりますので頑張ってください。
私の方は、江戸検に関する講座が終わった後は、10月から始まる史跡散歩の準備も重要になってきます。
10月からは4回にわたり、鬼平こと長谷川平蔵宣以の生涯をたどる「鬼平ゆかりの地を歩く」が毎日文化センターで開講します。
そこで、昨日は、長谷川平蔵の生誕地である赤坂を下見してきました。
その際に、現在連載中の「江戸神仏願懸重宝記」に載っている「榎坂」を訪ねてきましたので、今日は「榎坂」のお話です。
榎坂は、溜池の交差点の南側にあります。
説明板もありませんので、事前に調べておかないと気が付かない坂ですが、目安はアメリカ大使館になります。
アメリカ大使館と言えば霊南坂が有名ですが、アメリカ大使館の東北で霊南坂と交差するゆるやかな坂です。
榎坂はアメリカ大使館の北側にあるため警備は厳重です。
榎坂の写真をとっていたら、「観光ですか? アメリカ大使館は撮影しないようにお願いします」と警備の警察官から聞きとがめられました。
そんなことで、アメリカ大使館は写真が写っていませんが、右写真の右奥がアメリカ大使館です。
現在は「榎坂」のなごりを感じさせるものは全くありませんでした。
唯一あったのが、「赤坂榎坂森ビル」です。
ビルの正面に「ENOKI‐ZAKA」と書いてあり、これが唯一この坂が「榎坂」と教えてくれました。
しかし、江戸切絵図をみると下図のように「榎坂」としっかり描かれています。
戸田茂睡の「紫の一本」には
溜池の上山口修理亮の屋敷前の坂をも、えの木坂と云う。大きな榎あり
と書いてありますが、確かに、切絵図には山口筑前守の屋敷も描かれています。
この山口筑前守の屋敷が、江戸時代は牛久藩の上屋敷でしたが、現在はアメリカ大使館です。
また、右の松平大和守のお屋敷が、現在はホテルオークラになっています。
なぜ、榎坂と呼ばれるかについては「江戸名所図会」に書かれています。
池の堤に榎の古木2、3株あり、これを印の榎と名づく。昔浅野右京太夫幸長、欽命を奉じてこの所の水を築き止める。その臣矢島長雲これを司り、堤成就の後、その功を後世に伝へんため印にとて栽えけるとなり。
溜池は、江戸時代初期に湿地帯であった場所でしたが、幕府の命を受けた浅野幸長が堰を築いて、大きな人造池としたものです。
明治になってすべて埋め立てられましたので、現在は、地名に名前を残すのみで、池の名残りはまったくありません。
この溜池築造の工事の責任者であった矢島長雲という人が、功績を後世に知らしめるために榎を植えたところから榎坂という名前がつけられたようです。
この榎坂の榎が歯痛の願懸けの対象となりました。
「江戸神仏願懸重宝記」には
榎に「白山大権現」と念じて、虫歯が治るように願懸けをして、治ったら柳の楊枝を供える
と書いてあります。赤印が「榎坂」です。