「江戸神仏願懸重宝記」のコメントも7回目になります。
小さな神仏が結構あるものですね。
今日は、「南蔵院の縄地蔵」です。
このお地蔵様は、結構有名です。しかし、都心から離れた金町にあるという場所柄からか意外と知られていません。
私も金町には行ったことがなかったのですが、有名なお地蔵様ですし、「江戸神仏願懸重宝記」に載っているので、良い機会だと思って、8月初めに行きました。
南蔵院の山号を業平山というように、元は業平橋西詰にありました。
業平橋は、大横川に架かる橋で、東武線「東京スカイツリー駅」は、以前は「業平橋駅」と呼ばれていました。
南蔵院は、関東大震災で焼失したため、昭和2年に金町に移転しました。
JRや京成電鉄の「金町」駅から徒歩約20分かかります。そのため訪れたのは暑い盛りでしたので、タクシーで行きました。
バス乗車の場合は、「金町」駅前から京成バス「戸ケ崎操作所」乗車。「しばられ地蔵」停車場で下車、徒歩約3分と書いてあります。
「江戸神仏願懸重宝記」には「南蔵院の縄地蔵」と書かれていますが、現在は「縛られ地蔵」の方が有名のようです。
タクシーの運転手さんも「縛られ地蔵」でわかりました。
「縛られ地蔵」のお話は、南蔵院でいただいた資料に書いてあり、南蔵院のHPにも書かれていますが、概略、次のようなお話です。
八代将軍徳川吉宗の時代、ある呉服問屋の手代が、南蔵院のお地蔵様の前で一眠りしている間に反物を盗まれてしまいました。
訴えを受けた大岡越前守忠相は、お地蔵様を縄でぐるぐる巻きに縛って車に乗せ南町奉行所へ運んできました。
物見高い野次馬は、お地蔵様の後についていき奉行所になだれ込みました。
頃を見計らった大岡越前守は奉行所の門を閉めさせ、お白州に乱入した罰として反物一反を納めるよう命じたため、奉行所には反物の山が出来ました。
納められた反物を手代に調べさせるとその中から盗まれた反物が出てきて盗賊も一網打尽となりました。
このお話は、戦前の国定教科書にも取り上げられたお話のようです。
「縛られ地蔵」は、山門を入ると正面に安置されています。
立派な本堂が左手ありますので、ご本尊の釈迦如来に一礼して、お地蔵様にお参りしました。
お地蔵様は1メートルほどの高さの石像です。
盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事を聞いて下さるお地蔵様で、お願いするときは縛り、願い叶えば縄解きするとされているため、縄でぐるぐる巻きにされています。
まさに「縛られ地蔵」です。
「江戸神仏願懸重宝記」では、「南蔵院の縄地蔵」となっています。
縄でお地蔵様を縛り、7日間、「願いを成就させたまえ、願いが成就した際には、縄を解きます」と願懸けをする。願いが成就した後は縄を解いてお花を供える。
「縛られ地蔵」の脇には、願いが成就した人が解いた縄をいれる「解き縄入れ」がありました。
赤印が「南蔵院」です。