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日枝神社の歴史(日枝神社① 江戸の祭礼と歳事)

 先週は、江戸検受検のための基礎知識を覚えるための記事を書きました。

 これも暗記、これも暗記」という記事が続くと疲れると思いますので、今週は史跡案内の記事を書いていきます。 

先日の鬼平散歩では、日枝神社をご案内しました。

日枝神社の歴史(日枝神社① 江戸の祭礼と歳事)_c0187004_19540790.jpg 日枝神社は、今年の江戸検のお題にも関係する神社ですので、今日から数回にわたって日枝神社について書いていきます。

 今日は、日枝神社の歴史について書きます。

日枝神社は、以前は、川越の山王宮(現日枝神社)を太田道灌が江戸に勧請したと言われていました。

 江戸名所図会を読むと「日吉山王の社」として書かれていますが、その中で、

文明年中(1469~87)太田道灌、この(武蔵国入間郡仙波にある星野山無量寺にある=現在の川越の喜多院)山王三所の御神を星野山より江戸に遷し奉る。

 と書いてあり、斎藤月岑も喜多院から勧請されたと理解していたようです。

しかし、近年は、「千代田区史」や「日枝神社史」に書かれているように、太田道灌が勧請する以前に江戸氏が勧請した山王宮が江戸郷に鎮座していたと考えられるようになっています。

 その後、太田道灌が改めて川越の喜多院から山王宮を勧請したと考えられています。

日枝神社の歴史(日枝神社① 江戸の祭礼と歳事)_c0187004_19543844.jpg 太田道灌が勧請した山王宮は、江戸城内の梅林坂にあったと考えられています。

 梅林坂は、現在も江戸城内に残されています。

右上写真が現在の梅林坂です。

日枝神社の歴史(日枝神社① 江戸の祭礼と歳事)_c0187004_19544506.jpg右下写真は、梅林坂の説明板です。

 そして、徳川家康が、天正18年に江戸に入府します。

 その際に、徳川家康は、江戸城内に山王社が鎮座していることを知って大変喜んだそうです。

 そのことが、徳川実紀東照宮御実紀附録巻六に書かれています。

 御遷移のころ榊原康政をめして。この城内に鎮守の社はなきやと御尋あり。康政城の北曲輪に小社の二つ候が鎮守の神にもあらん。御覧あれとて。康政嚮導してその所に至らせ給ふ。小さき坂の上に梅樹数株を植て。そが中に叢社二つたてり。上意に。道灌は歌人なれば菅神をいつき祭りしとみえたり。かたへの社の額を見そなはすと、直に御拝礼ありて。さてさて式部不思議の事のあるよと仰なり。康政御側近く進みよれば。われ当城に鎮守の社なくば。坂本の山王を勧請せんとかねておもひつるに。いかなるえにしありてか。この所に山王を安置して置たるよと宣へば。康政平伏して。これもいとあやしく妙なる事にも侍るものかな。そもそも当城うごきなくして。御家運の栄えそはせ給はん佳瑞ならんと申せば。御けしきことにうるはしかりしとぞ。その後城塁開拓せらるゝに及び。山王の社を紅葉山にうつされ。かさねて半蔵門外に移し。明暦の災後に至り今の星岡の地に宮柱ふとしきたてて。当家歴朝の産神とせられ。

 
 このように徳川実紀には徳川家康は山王権現が江戸城内に鎮座していることを大変よろこんだと書いてあります。こうして、徳川家康は山王権現を「産土神」と定めます。

 この後それほどの時間をおかずに江戸城内の紅葉山に遷座したと考えられています。

日枝神社の歴史(日枝神社① 江戸の祭礼と歳事)_c0187004_19554580.jpg そして、江戸城の大改造が行われましたが、この影響で、山王権現は、半蔵門外に移されました。

 山王権現が遷座した場所は、現在国立劇場がある近くで、ホテルグランドアーク半蔵門の西側の警視庁隼町住宅隼寮あたりと考えられています。

 右写真はホテル グランドアーク半蔵門です。

 

 この半蔵門外の山王権現は、明暦3年に起きた明暦の大火で焼失してしまいました。

 そこで、幕府は溜池の上にある星岡(ほしがおか)の福知山藩松平忠房の上屋敷を収公し、そこを山王権現の新しい用地と定め、社殿を造営しました。

 遷座の理由は、武江年表には次のように書いてあります。

 旧地は御堀端にして、彦根候の御屋敷より道を阻て北に在しが、社地狭く、火災の時、類焼の患あるが故、当時の所、松平主殿頭殿御屋敷にてありしを、災後社地となし給へり

 半蔵門外の山王権現は境内が狭くて類焼しやすかったためと思われます。

 そして、永田の地が選ばれたのは、江戸城の裏鬼門にあたる方角であるためと言われています。

 明暦の大火が起きたころには、すでに表鬼門には寛永寺が造営されていました。

 寛永寺はいうまでもありませんが、天台宗です。

 近江坂本の山王権現(現在は日吉大社という)は、もともと延暦寺を守護する神社でもありました。そのため、天台宗と山王権現と非常に密接な関係をもっていました。
 喜多院も天台宗でした。また、
山王権現の別当寺は寛永寺の末寺でした。
 山王権現の別当寺は当初最教院その後観理院が務めました。
 初代別当の晃海が天海大僧正の愛弟子でした。
 こうしたことをみても天台宗と山王権現の関係がわかるとと思います。

 そこで、明暦の大火後の江戸の大改造の際に、表鬼門の寛永寺と対をなすようにして裏鬼門守護の役割を持つ神社として山王権現が選ばれたのではないかというのが私の推測です。

 それ以降、江戸時代を通じて、山王権現は、永田の地に鎮座していました。

 しかし、明治元年に神仏分離令が発布されました。

 そこで、山王権現は、社名を「日枝神社」と変更しました。

 山王権現の別当寺は観理院でしたが、最後の別当「広深」は退転し常陸国稲敷郡新利根村逢善寺に移りました。

その他の子院の住職たちも還俗したり退転しました。こうしたことと現在は日枝神社周辺に1か寺もないことを考えると、観理院をはじめとした寺院はすべて廃寺になったものと思われます。



by wheatbaku | 2015-10-12 08:54 | 江戸の祭礼歳事

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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