日枝神社の宝物殿は、神門の手前にある手水舎の脇にあります。(右写真)
その宝物殿には、貴重な日枝神社の宝物が展示されています。
今日は、それら宝物の中から主要なものをご紹介いたします。
宝物殿に展示されている宝物の撮影は禁止されていますが、このブログへの画像の掲載については日枝神社様のご許可をいただいて掲載させていただいております。(従って、画像の転載は固くお断りさせていただきます。)
この掲載に際してご尽力いただいた権禰宜伊久様に改めて御礼申し上げます。
まず、初代将軍徳川家康、2代将軍秀忠、3代将軍家光の朱印状をご紹介します。
先日の模擬試験でも出題しましたが、日枝神社は、家康から江戸城内に5石の神領を拝領し、2代将軍秀忠の時に、その5石と引き換えに100石寄進を受け、3代将軍家光の時に、さらに500石の寄進を受け、合計で600石となっています。
その3代の朱印状をはじめ歴代12代の朱印状を日枝神社は現在も所蔵されているそうです。
そのうち、初代家康の朱印状と3代家光の朱印状が宝物殿内のガラスケースに展示されています。
鬼平散歩の時にご案内しましたが、参加者の皆さん「本物の朱印状をみたのは初めてです」と大変喜んでいただきました。
なお、家康・家光の朱印状の後ろ側には、墨摺りの祭礼番付が展示されていますが、宝物殿を訪ねたら、祭礼番付もご覧なってください。
家康の朱印状
秀忠の朱印状
宝物殿には、獅子頭が一対展示されています。
この獅子頭は、3代将軍家光の習字に用いる帳面・冊子を貼って作ったといわれる獅子頭です。
山王祭では、神輿とともに獅子頭が渡御しました。
山王祭の行列でこの獅子頭が見えると江戸っ子は土下座したので、「土下座の獅子頭」と呼ばれたそうです。
また。山王祭山車人形が2体展示されています。
神功皇后像と竹内宿禰像で文政5年に製作されたものだそうです。
楊洲周延(ようしゅう ちかのぶ)の浮世絵も展示されています。
楊洲周延とは、明治時代に活躍した浮世絵師で、本名は橋本直義で、楊洲は号です。
高田藩の武士出身ですが、歌川国芳や三代歌川豊国に学び、代表作として「千代田の大奥」「千代田の御表」があります。
宝物殿には「千代田御表 山王祭礼上覧」と「江戸風俗十二ヶ月之内 六月 山王祭」が展示されています。
「千代田御表 山王祭礼上覧」
以上、主要な宝物を紹介しまたしたが、そのほか、宝物殿には、刀剣が多数展示されています。
私は、あまり刀剣の知識がないので解説することができませんが、お好きな方もいらっしゃると思いますので、お好きな方はご注目ください。