江戸検の本試検まで、4日になり、明日・明後日は、江戸検前の最後の土曜日・日曜日となりました。
受検される皆さん、頑張ってください。
江戸検お役立ち情報、今日は官職名について書いてみたいと思います。
江戸検の書取問題では、過去に、(井伊)掃部頭、(浅野)内匠頭、吉良上野介、(大石)内蔵助など、官職名を問う問題が出ています。
また、有名な南町奉行大岡忠相は大岡越前守、北町奉行遠山金四郎も遠山左衛門尉と官職名で呼ばれることがあります。
「掃部頭」「内匠頭」「越前守」を「かもんのかみ」「たくみのかみ」「えちぜんのかみ」と読めるけれど、どうして「頭」や「守」を「かみ」と読むのだろうと素朴に疑問に思う人もいると思います。
また、「上野介」と「内蔵助」の場合は、なぜ「すけ」を「介」と「助」と書き分けるのだろうと不思議に思う人もいると思います。
今日は、この疑問に答えてみようと思います。

貴族が政権を握っていた「律令制」の時代の官制では、官職を長官・次官・判官(三等官)・主典(四等官)の4階級に分けて、長官を「かみ」、次官を「すけ」、判官(三等官)を「じょう」、主典(四等官)を「さかん」と呼んでいました。
これを「四等官(しとうかん)」と言います。
「四等官」の読み方は、どの役所でも「かみ・すけ・じょう・さかん」と呼びます(多少の例外あり)が、表記は組織によって異なる漢字で書いていました。
代表的な役所である「省」「寮」「国司」で説明すると、「省」は「卿・輔・丞・録」、「寮」では「頭・助・允・属」、国司は「守・介・掾・目」と書いていました。
「省」には、中務省、式部省、民部省、治部省、兵部省、大蔵省、宮内省の八省がありました。
「寮」には、掃部寮、内匠寮、内蔵寮、雅樂寮、大学寮、主水寮、主税寮、主殿寮、大炊寮などがありました。
「掃部頭」は「掃部寮」の長官、「内匠頭」は「内匠寮」の長官、「内蔵助」は「内蔵寮」の次官、「雅樂頭」は「雅樂寮」の長官ということになります。
国司は、68か国あった各国の役人で、長官の「守」は現在の県知事にあたり、次官の「介」は副知事にあたります。
そのため、「越前守」は、越前国の長官すなわち県知事ということになります。
「上野介」は、上野国の次官すなわち副知事ということになりますが、実は、上野国、上総国、常陸国の三国は「親王任国」といって、親王が長官になることになっていました。
しかし、親王は、京都に滞在し三国に赴任することがほとんどなかったため、次官の「介」が実質的に長官でした。
つまり「上野介」は、実質的な「上野国」の長官つまり県知事でした。
ですから、「上野介」が「越前守」より格が低いということはないと考えてください。
現に、徳川家康の側近で幕府初期の重鎮であった本多正純の官職名が「上野介」でした。また、佐倉惣五郎に苛政を訴えられた佐倉藩の藩主堀田正信も「上野介」を名のっています。
長官名は「かみ」と呼ばれますが、例外があります。
それが「職(しき)」と呼ばれる役所の長官名で、「職」の長官は「かみ」でなく「だいぶ」と呼ばれます。
「職」には、大膳職、京職(左右あり)、修理職などがあります。
この長官は、「だいぶ」と呼ばれ「大夫」と書きます。
「たいふ」でなく「だいぶ」と濁りますし「たゆう」でもないので読み方は注意してください。
次官以下は「亮・進・属」と書いて、基本通り「すけ・じょう・さかん」と読みます。
「花燃ゆ」にしばしば登場した長州藩主毛利敬親の官職名は「大膳大夫(だいぜんだいぶ)」で「大膳職」の長官です。
最後に遠山金四郎の官職名「左衛門尉」について書いておきます。
律令制下では、皇居を守る軍事組織に「近衛府」「衛門府」「兵衛府」があり、それぞれ左右に分かれていて、総称して「六衛府」と呼ばれていました。
この組織のうち「衛門府」と「兵衛府」の四等官の呼び名も「かみ・すけ・じょう・さかん」で、その字は「督・佐・尉・志」と書きました。
これでもう想像がつくと思いますが、「左衛門尉」というのは「左衛門府」の三等官「尉(じょう)」という官職名です。
律令制下の官職については、細かいことが多々あるようですが、とりあえず江戸検に必要と思われることだけ書いてみました。江戸検を受検される皆さんのお役にたてば幸いです。

