先週の「鬼平散歩in本所」では、鬼平ゆかりの地を中心に御案内しましたが、その他、報恩寺や能勢妙見山東京別院などもご案内しました。
この能勢妙見山東京別院と報恩寺では、通常の案内に書かれていないことを教えていただきましたので、今日から、順に書いていきたいと思います。
まず、能勢妙見山東京別院からご案内します。
能勢妙見山東京別院は、大阪にある能勢妙見山の別院です。
大阪の能勢妙見山には鳥居があり「妙見宮」とも呼ばれますが、実は能勢町にある日蓮宗の「無漏山眞如寺」の眞如寺の飛び地境内です。
能勢妙見山のある能勢町というのは大阪府の最北端の町で、妙見山は大阪府と兵庫県の府県境にあります。
能勢妙見山には、まだ行ったことがありませんが、地図でみると阪急宝塚本線の川西能勢口駅から能勢電鉄の電車があり、さらに麓からはケーブルカーやリフトがあるようです。
関東で言えば、高尾山をイメージすると良いようです。
能勢妙見山は、慶長8年(1603)に、能勢頼次により創建されました。
能勢家は、清和天皇の曾孫に当たる源(多田)満仲の子頼国が能勢に移住し、以来能勢氏を名のりました。頼国の兄が大江山の鬼退治で有名な源頼光です。
つまり、能勢家は清和源氏の一族ということになります。
戦国時代の武将能勢頼次は、明智光秀に味方し天王山の戦いで敗北し岡山に逃れていましたが、徳川家康に召し出されて旗本として徳川家に仕えるようになったようです。
東京の別院は、江戸時代後期の安永3年 (1774)に、旗本能勢筑前守頼直が、下屋敷に妙見堂を建立して能勢妙見山より分祀した妙見菩薩をお祀りしたものです。
先日、ご説明いただいた能勢頼昭御住職(写真右端)は旗本能勢家のご子孫です。
妙見菩薩は、もとは北辰=北斗星・北極星の信仰に始まるものです。
中国では、昔から北辰を信仰していましたが、これに仏教が伝来した影響をうけて「妙見菩薩」と称するようになりました。
日本の仏教では天台宗でお妙見菩薩を信仰しているようでが、特に日蓮宗は熱心に妙見菩薩を信仰しています。
能勢妙見山東京別院の妙見大菩薩様は通常は開帳していませんが、事前に連絡すれば参拝が可能だそうです。
能勢妙見山東京別院では、右下写真のような紋章が各所に見られます。
これは「切竹矢筈紋」という紋です。能勢妙見山の紋であると同時に能勢家の家紋でもあります。
この紋章は能勢頼次から使用されている「矢筈(やはず)が寄り合ってできたもの」です。
矢筈とは「矢の後ろのV形に加工された弓の弦を受ける部分」の名称です。
この紋章は能勢妙見山の独自のものとされていますが、境内のあちこちでこの紋章を見かけることが出来ます。
右上は本堂前にの提灯、右は三門の扉に印されている「切竹矢筈紋」です。
これは、いかにも十字架のように見えます。
そのため、隠れキリシタンが信仰したという噂があります。
そこで、その真否を能勢御住職に伺いました。
御住職によると、能勢は近くにキリシタン大名で有名な高山右近の領地があり、その影響からりキリスト教を信仰する人々が多くいたそうです。
しかし、幕府によりキリスト教が禁止される中で、「切竹矢筈紋」を十字架とみなして隠れ切支丹の人々が拝むようになったそうです。

