能勢妙見山東京別院の山門先に勝海舟胸像があります。
今日は、能勢妙見山と勝海舟の関係について書いてみます。
勝海舟の銅像は、妙見堂の開創200年を機に、昭和49年5月に地元有志によって建られたものです。
勝海舟は9歳の時に、犬にかまれて大けがをしました。命が持つかどうかというほどの怪我だったようです。能勢妙見山東京別院は、勝海舟の父である勝小吉が、麟海舟の怪我の回復を願って、毎晩裸参りをして水垢離をして祈願した場所です。
そして、寝るときは抱いて寝てやったそうです。
小吉の献身的な看病により勝海舟は70日目には無事床を離れることができました。
こうした由縁により、勝海舟の胸像が、境内にあります。フロックコートを着た晩年の姿です。
胸像の下には次のように刻まれた銘盤がはめ込まれています。
勝海舟翁之像
勝海舟九才の時大怪我の際妙見大士の御利生により九死に一生を得その後開運出世を祈っ
て大願成就した由縁の妙見堂の開創二百年を迎へ海舟翁の偉徳を永く後世に傳へるため地
元有志に仍ってこの胸像が建られた 昭和49年5月12日
御住職のお話では、昭和49年に大河ドラマ「勝海舟」が放映された際には、勝海舟ゆかりの地として大勢の観光客が参拝したそうです。
胸像の銘板に書かれている海舟9歳の時の大怪我とはどんなものか?
勝海舟の父勝小吉が書いた「夢酔独言」の中で「息子麟太郎、犬にかまれる」と題して次のように詳しく書かれています。
岡野へ引っ越して、段々脚気もよくなってきてから、息子が九ツの年、息子が御殿から下ったが、本の稽古に三つ目向こうの多羅尾七郎三郎の用人のところへやったが、ある日、稽古にゆく途中の道で、病犬に出会ってきん玉をくわれたが、その時は花町の仕事師八五郎という者が息子を内に上げて、いろいろ世話をしてくれた。おれは家で寝ていたが、知らせて来たから、飛んで八五郎の家へ行った。
息子は布団を積んで、それに寄りかかっていたから、前をまくって見たら、玉が下りていたので、幸いその場に来ていた外科の成田という医者がきているから、「命は助かるか」と尋ねたら、難くいうから、先ず息子をひどくしかってやったら、それで気がしっかりした様子だったので、駕籠に乗せて自宅へ連れてきて、篠田という外科を地主が呼んで頼んだから、きず口傷を縫ったが、医者が振るえているから、おれが刀を抜いて、枕元に立て置いて、りんきんだから、息子は少しも泣かなかったので、ようやく傷口を縫ってしまったから、様子を聞いたら、「命は今晩持つかどうか保証できない」と言う。家中のやつは泣いてばかりいるので、思い切り小言を言って叩きちらして、その晩から水を浴びて、金比羅(能勢妙見の間違いと思われる)へ毎晩裸参りをして祈った。
始終おれが抱いて寝て、他の者には手を付けさせない。毎日毎日暴れちらしていたら、近所の者が「今度岡野様へ来た剣術遣いは、子を犬に喰われて気が違った」と言いおったくらいだが、とうとう傷も直り、七十日目に床を離れた。それから今はなんともないから、病人は、看病が肝心だよ。
勝海舟の父親勝小吉を主人公とした小説が子母澤寛の「父子鷹」です。
「父子鷹」はもちろん小説ですので事実違うところもありますが、「夢酔独言」を元にしているので、ほぼ同じように書かれています。
「父子鷹」は、案内した時には、通読していませんでしたが、鬼平散歩にご参加された方で数人が読んでいましたので、これはまずいと思って、散歩が終わった後を読み始めました。大変面白い小説ですが、ようやく下巻の中程まで読み終わりました。
また、「夢酔独言」も上記の部分の前後を読みましたが、「父子鷹」を読んでいると「夢酔独言」も読みやすいように感じました。「父子鷹」が読み終わったら「夢酔独言」も読んでみようと思います。
アマゾンを検索すると「夢酔独言」はいろいろな出版社で出版していますが、私が参考にしたのは中公クラッシクスです。(念の為)


