今日も、本所の報恩寺に関する話題です。
報恩寺は、江戸時代には日蓮宗の触頭を勤め、塔頭が20ヶ寺あったそうですが、現在は4つの塔頭があります。
右写真は、報恩寺の参道で、この参道の両側に4つの塔頭が並んでいます。
今日はこのうち陽運院と千栄院の2ヶ寺についてご案内をします。
陽運院
陽運院は、参道の西側にあります。
陽運院は、報恩寺の2代住職日親上人が創建されたお寺です。
この陽運院は「めぼし霊場」として目の病気にご利益のあるお寺で知る人ぞ知るお寺だそうです。
「めぼし」という言葉はあまり聞きなれない言葉ですが、その由来ははっきりしないようです。ただ御住職のお話では、「目星をつける」の「目星」と関係があるかもしれないということでした。
眼病に御利益があることの由来ですが、身延山の11代法主であった日朝上人像を安置していて「めぼし護符」を授与していたことによるようです。
日朝上人は室町時代中期の人物ですが68歳の時に目の病気を患いましたがひたすら祈ることにより病気に打ち勝ちました。
そして死ぬ際に眼病を患うを人を救おうと言い残したそうです。
御住職からいただいた資料には漢文で書かれているので正確には読み切れないのですが、「目の病気を患う人が毎月25日にお題目を100回唱えれ「南無身延11代日朝尊者」と7回唱えれば御利益があるだろう」と書いてありました。
こうしたことから日朝上人は「眼病守護の日朝上人」と呼ばれました。、陽運院では、この日朝上人をお祀りし眼病守護の「めぼし護符」が授与されていることから「めぼし霊場」と呼ばれていたようです。
最近は、諸事情から「めぼし護符」の授与はやめているそうですが、目の悪い方が現在もご祈祷にくるそうです。
千栄院
千栄院は参道の東側の報恩寺寄りにあります。陽運院から見ると斜め東側になります。
千栄院は報恩寺の3代住職日喜上人によって創建されたお寺ですが、「たんぼとけ霊場」として、ぜんそく、たん、百日咳にご利益のあるお寺として知られています。
お寺の東側に「たんぼとけ」と刻まれた石碑があります。
「たんぼとけ霊場」といわれる由来は次のようなお話があるようです。
江戸時代に、長年ぜんそくに苦しむ人が、千栄院の信者となり法華経を信仰し毎日1万回余りの御題目を唱えた功徳によりぜんそくが直りました。
そこで、その人が、「私を信ずる人は必ず守護する」という誓いを立てました。
その人物が亡くなって千栄院で「道晴尊霊」として祀られました。
明治以降の記録では道晴堂というお堂の中に五輪の塔があり「闘病平癒」の祈願が行われいたそうです。
現在は、本堂の中に五輪塔が祀られているようです。
千栄院は、現在も「たんぼとけ霊場」として、ぜんそく、百日ぜき、痰切りに悩む方あるいは声を使う仕事の人の信仰を受けているそうです。

