昨日、11月5日が「世界津波の日」に制定されたという報道がされました。
右下写真は、昨日の読売新聞の一面です。
記事の中身は次のように書かれています。
国連総会は22日、11月5日を「世界津波の日」に制定する日本提出の決議案を全会一致で採択した。決議採択により、11月5日は正式に国連が定める「世界津波の日」となる。
早期警報や住民避難など津波対策の重要性を広めるため、各地で啓発運動が行われることになる。日本は活動を後押しする方針だ。
日本で11月5日は「津波防災の日」に制定されており、決議案提出は今年3月に仙台市で開かれた第3回国連防災世界会議を受けて行われた。過去に津波の被害にあった南米チリや東南アジア各国のほか、アフリカなど内陸国も含めて、140か国以上が共同提案国となった。
11月5日は、安政南海地震があった1854年のこの日(旧暦)、津波の到来に気づいた和歌山県の村人が稲束に火を付けて他の村人を高台に避難させた故事にちなむ。
最後の段落に注目してください。
なぜ、これを今日の記事にしたか、江戸検に関心のある方はおわかりになると思います。
「今年のお題『江戸の災害と復興』」に関係するからです。
安政年間は、大地震が連続して起きました。
安政元年(正しくは嘉永7年)11月4日に「安政東海地震」、そして翌日の11月5日に「安政南海地震」が起き、翌安政2年10月2日に「安政江戸地震」が起きています。
安政南海地震は、安政元年(正しくは嘉永7年)11月5日に発生したマグニチュード8.4の巨大地震で、関西から四国、九州東岸の広い範囲で大きな被害をもたらしました。
2日にわたる巨大地震の発生で、太平洋岸の各地を津波が襲いました。
江戸検協会のHPに載っている出題例の問5もこの時のことを題材にしています。
紀伊半島の紀伊田辺領内では津波の高さは推定7mにも達したといいます。
この大津波に際して、収穫したばかりの稲むら(収穫した稲を乾燥させるため積み上がたもの)に火をつけて、村人を救ったのが、紀伊国広村の浜口儀兵衛です。
この話をモデルに書かれたのが「稲むらの火」で、昭和12年から昭和22年にかけて小学国語読本の中に掲載されました。
小学校の副読本ですので、分量も多くありませんので、全文を最後に書いておきました。江戸検を受検しようと思う方は、最後まで読んでみてください。
なお、私は、この話を第8回江戸検の「今年のお題『江戸の食文化』」を勉強する中で知りました。
「稲むらの火」のモデルとなっている浜口儀兵衛は、ヤマサ醤油の7代目当主でした。
醤油の歴史を調べる中で、これを知りましたが、「江戸の災害と復興」でお目にかかるとは思いませんでした。
浜口儀兵衛は梧陵(ごりょう)という号をもっています。その浜口梧陵の生涯をえがいた「津波救国──〈稲むらの火〉浜口梧陵伝」という本も出版されています。
もちろん、ヤマサ醤油のホームページにも「稲むらの火」のことが掲載されています。
稲むらの火
「これはただ事ではない」とつぶやきながら、五兵衛は家から出てきた。今の地震は、別に烈しいという程のものではなかった。しかし、長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない無気味なものであった。
五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では豊年を祝うよい(宵)祭りの支度に心を取られて、さっきの地震には一向に気が付かないもののようである。
村から海へ移した五兵衛の目は、忽(たちまち)そこに吸付けられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、見るみる海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れてきた。
「大変だ。津波がやってくるに違いない」と、五兵衛は思った。
このままにしておいたら、四百の命が、村もろとも一のみにやられてしまう。もう一刻も猶予は出来ない。
「よし」と叫んで、家にかけ込んだ五兵衛は、大きな松明(たいまつ)を持って飛び出してきた。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んである。
「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ」と、五兵衛は、いきなりその稲むらのひとつに火を移した。風にあおられて、火の手がぱっと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。こうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなって来た。稲むらの火は天をこがした。 山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。
「火事だ。庄屋さんの家だ」と、村の若い者は、急いで山手へ駆け出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追うようにかけ出した。
高台から見下ろしている五兵衛の目には、それが蟻の歩みのように、もどかしく思われた。やっと二十人程の若者が、かけ上がってきた。彼等は、すぐ火を消しにかかろうとする。五兵衛は大声で言った。
「うっちゃっておけ。大変だ。村中の人に来てもらうんだ」
村中の人は、追々集まって来た。五兵衛は、後から後から上がってくる老幼男女を一人一人数えた。集まってきた人々は、もえている稲むらと五兵衛の顔とを、代る代る(かわるがわる)見くらべた。その時、五兵衛は力いっぱいの声で叫んだ。
「見ろ。やってきたぞ」
たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指さす方向を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は見る見る太くなった。広くなった。非常な速さで押し寄せてきた。
「津波だ」と、誰かが叫んだ。海水が、絶壁のように目の前に迫ったかと思うと、山がのしかかって来たような重さと、百雷の一時に落ちたようなとどろきとをもって、陸にぶつかった。人々は、我を忘れて後へ飛びのいた。雲のように山手へ突進してきた水煙の外は一時何物も見えなかった。人々は、自分等の村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。二度三度、村の上を海は進み又退いた。高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は波にえぐりとられてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。稲むらの火は、風にあおられて又もえ上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。始めて我にかえった村人は、この火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。


