先日行われた「鬼平散歩in四谷」の様子は、既にこのブログでご紹介しました。
東京メトロの四谷駅から四谷三丁目駅の間は、新宿通りを歩けば10分弱で歩ける距離です。
しかし、新宿通りの南側は、寛永13年に完成した外堀工事の関係で、寛永11年に麹町周辺から移転してきた寺が多く集まった寺町です。
この寺町の各寺には、有名な人物が眠っていますので、順にご案内すると4時間程度はかかります。
四谷三丁目駅付近は過去に何回もご案内したことがあり、そのたびに、このブログでご紹介をしてきました。
代表的なものは、次の通りです。
戒行寺と長谷川平蔵
しかし、かなり有名でありながら、このブログでまだ紹介していないのが「於岩稲荷田宮神社」です。
そこで、今日からは数回に分けて、「於岩稲荷田宮神社」についてご紹介していきます。
「於岩稲荷田宮神社」は、東京メトロ四谷三丁目駅から徒歩5分のところ、住宅街の中にあります。
「於岩稲荷田宮神社」は、鶴屋南北が書いた「東海道四谷怪談」の主人公として大変有名なお岩様をお祀りする神社です。
お岩様は四谷怪談で有名ですので、お岩様は芝居上の人物だと思う人が多いと思いますが、お岩様というのは、実在の人物です。
「於岩稲荷田宮神社」で配布している資料によると、お岩様は、江戸時代初期の人です。
御先手組同心田宮又左衛門の娘で、旦那さんは田宮伊右衛門といいました。
田宮家は貧乏御家人のため台所はいつも火の車でした。 そこでお岩様は家計を支えるため商家に奉公に出ました。
さらに、お岩様は日頃から田宮家のお屋敷内のお社(やしろ)を深く信仰していました。こうしたおかげで、田宮家は徐々に繁栄を取り戻しましした。
その話を聞いた近隣の人々はお岩様の幸運にあやかろうとして、お屋敷内のお社(やしろ)を「お岩稲荷」と呼んで盛んに信仰するようになりました。
そこで、田宮家でも屋敷社のかたわらに小さな祠を造り、「お岩稲荷」と名付けて家中の者も信仰するようになりました。
そればかりでなく、毎日のように参拝に来る人々の要望を断り切れず、とうとう参拝も許可することになったそうです。
お岩様がなくなって約200年もたった後に、この根強い信仰をヒントに、鶴屋南北が書いたのが有名な「東海道四谷怪談」です。
「東海道四谷怪談」は、鶴屋南北がお岩様の名前だけ借りて、その当時、江戸でおきた様々な事件を虚実取り混ぜて創作したのが、お岩の怨霊劇でした。
「於岩稲荷田宮神社」の資料には次のように書かれています。
鶴屋南北はかねてから、「於岩稲荷」のことを聞いていた。お岩という女性が死んでからもう二百年がたっている。それなのに今でも江戸で根強い人気かあることに注目した。人気のある「お岩」という名前を使って歌舞伎にすれば、大当たりは間違いない、と見当をつけた南北は台本書きに入った。
お岩があんな善人では面白くない。刺激の強い江戸の人間を呼ぶにはどぎついまでの脚色が必要だ。南北は「お岩稲荷」からは「お岩」の名前だけを拝借して、江戸で評判になったいろいろな事件を組み込んだ。密通のため戸板に釘付けされた男女の死体が神田川に浮かんだことがある。よし、これを使おう。
主人殺しの罪で処刑された事件もあった。あれも使える。姦通の相手にはめられて殺された俳優がいた。それも入れよう。四谷左門町の田宮家には怨霊がいたことにしよう。江戸の人間なら、だれでも記憶にある事件を作家の空想力で操り、脚本はできた。
しかし、四谷が舞台では露骨すぎる。「お岩」の名前だけ借りれば十分だ。南北が付けた題名は「東海道四谷怪談」。四谷の於岩稲荷の事実とは無関係な創作であることを示すことにした。天才的な劇作家が虚実取り混ぜて創作したのが、お岩の怨霊劇だった。
「東海道四谷怪談」のお岩様は、鶴屋南北が作り上げた人物で、実在のお岩様は、夫婦円満で怨霊のかけらはまったくないようです。
ちょっと長くなったので、この続きは次回とします。
赤印が「於岩稲荷田宮神社」です。

