上野東照宮の3回目は、銅燈籠について書きます。
上野東照宮には、多くの石燈籠と銅燈籠があります。
水舎門を入ると両側に、石燈籠がずらっと並んでいます。
右写真は、社殿側から写した参道の石燈籠です。
そして、社殿の前には銅燈籠、さらに社殿の脇にも石燈籠が設置されています。
銅燈籠はすべてで50基、石燈籠は約280基あるそうです。
この燈籠群には、奉納された年月日と奉納者の名前が刻まれています。
それを見ると、慶安四年四月十七日となっているのがほとんどです。
この日は上野東照宮の社殿が落慶した日です。
その中で、一つだけ寛永五年(1628)に奉納されたものがあります。
参道を社殿に向かってあるいていくと、左手に東京都教育員会が設置した説明板がありますが、その銅燈籠は、説明板の裏側にあります。
右上写真の2つある銅燈籠の左手のものです。
奉納者名は「伊賀少将藤原朝臣高虎」となっています。
伊勢国津藩藩主藤堂高虎です。
この銅燈籠は、徳川家康の十三回忌に藤堂高虎から奉納されたものです。
ちなみに右上写真の右側の銅燈籠は、会津藩主保科正之が奉納したものです。
さらに、社殿唐門の両脇には、御三家から奉納された銅燈籠があります。
写真右から、紀州藩主徳川頼宣、水戸藩主徳川頼房、尾張藩主徳川光義となっています。
さすが、御三家ですね、社殿に最も近い所に設置されています。
ところで、ちょっと不思議に思いませんか?
御三家の筆頭といえば、尾張藩ですが、どうして、尾張藩主徳川光義から奉納された銅燈籠が最も下座に設置されているのでしょうか?
これの答えは、奉納者の名前と一緒に官位も刻まれているので、それを見るとわかります。(右写真は、最も判別しやすい徳川頼房の刻銘です)
紀伊国主従二位権大納言源頼宣
正三位権中納言源頼房
尾張国主参議従三位兼近衛権中将源光義
となっています。
つまり、官位順に設置されています。
尾張藩主の徳川光義は、後に改名して徳川光友となっていて、光友のほうが知られているのでちょっとわかりにくいですね。
父の義直が慶安3年に亡くなり、光友が尾張藩を相続したばかりですので、官位も低いので、徳川光友が奉納した銅燈籠が下座に設置されているものと思われます。義直が存命であれば、当然、尾張藩主が奉納した銅燈籠が上座に設置されたでしょう。
これら、すべての銅燈籠群は国の重要文化財に指定されています。


