今日は、現在も西濃地域では、薩摩藩に対する感謝が続いていることについて書きます。
「大巻薩摩工事役館跡」について前回ご案内しましたが、その「大巻薩摩工事役館跡」を訪ねた時にちょっと驚いたことがありました。
記念碑や平田靭負の銅像を見た後、さぁ帰ろうとして振り返って驚きました。
記念碑のある場所の目の前の畑が花壇となっていて、そこに「薩摩花壇」と名付けられていました。
そこで、少しお話を伺うと、地元の皆さんがボランティアで花壇を整備しているとのことでした。
当然、薩摩藩が治水工事を行ったこともよく知っているということでした。
また、「大巻薩摩工事役館跡」から名古屋に車で帰る途中、名古屋のお世話になった知人からちょっと質問がありました。
その質問は「この辺りを通る時にいつも不思議に思っていることがある。揖斐川沿いの堤防を通る道路に「薩摩」という名前がついているのだけれど、それはお前が調べている宝暦治水工事に関係しているのか?」という質問でした。
私もまさか岐阜県の道路に「薩摩」の名前がついているとは思いませんでした。
早速、調べてみると「薩摩カイコウズ街道」とういう道路があります。
「薩摩」はすぐに宝暦治水工事との関係だと想像できましたが、「カイコウズ」とは何だろうと思いました。
そこで、また調べました。「カイコウズ」とは植物の名前で鹿児島県の県の木です。漢字で書くと「海紅豆」と書くそうです。
この街道は、海津市から関ヶ原までの約35キロの道路で、沿線には鹿児島県の木「カイコウズ」が植えられているそうです。
ちょうど国営木曽三川公園の西側を揖斐川にそって北上する道路と思われます。
下の写真は国営木曽三川公園の展望タワーからとった写真ですが、流れている川が揖斐川です。
写真中央に斜めに揖斐川沿いに写っている道路が「薩摩カイコウズ街道」です。

「薩摩カイコウズ街道」は、直接的には、岐阜・鹿児島姉妹県盟約20周年を記念し、平成3年に整備された道路です。
岐阜県と鹿児島県が姉妹県となったのは、いうまでもありません、宝暦治水工事を薩摩藩が行った縁によるものです。
また、「宝暦治水・薩摩義士」という本を見ていたら次のような話が載っていました。
昭和21年から34年まで鹿児島市長を務めた勝目清氏の手記のなかに、勝目清たちが昭和の初めに、「木曽川治水犠牲者墓参団一行」50数人と木曽三川地域を訪れた時の様子を描いた次のような部分があります。
船着き場に上陸すると、町村長をはじめ学童、青年団員、婦人会員、有志諸氏が道路の両側に整列して、我ら一行を歓迎しているのであるが、全く宮様を迎えるような出迎えぶりである。
ものすごい歓迎ぶりに勝目氏たち一行は大変驚いたし喜んだことでしょう。 しかし、さらに驚くことがあったようです。
勝目清氏ともう一人が一行を代表して、南濃地区で長く薩摩藩士の顕彰に尽力していた西田喜兵衛氏宅を訪問した際のことが次のように書かれています。
玄関先だけで挨拶をする予定であったが、ぜひとのことで座にあがったら、床の間十畳敷きの上座に座らされて、どうなることかと思っていると、ご主人が衣服を整え、袴姿で次の間から丁重な挨拶である。ご主人の挨拶の後の話では、西田家では代々、薩摩の人には宝暦治水工事の恩に対して、かかる丁重な挨拶をしなければならぬと言い伝えられているのだということであった。
木曽三川地域の人々が代々薩摩藩に感謝していたことがよくわかるエピソードだと思います。
この勝目清氏の手記に載っている話は、昭和の初めの話ですが、「薩摩花壇」と名付けられたお花畑や「薩摩カイコウズ街道」と名付けられた道路を発見して、西濃地域では、本当に今でも薩摩にたいする感謝の念が続いているんだと実感しました。
そういえば、「大巻薩摩工事役館跡」では、毎年、春には、薩摩義士顕彰祭が、地元の小学生なども参加して行われているそうです。


