昨日は、毎日文化センターの「盛り場散歩」があり、「吉原」をご案内してきました。
東京は開花宣言が既に出たので、花見ができるかと期待していましたが、平年以下の低温が続いたため、まだ2分咲き程度で、しかも昨日も平年以下の気温でしたので、ちょっと寒い中での散歩でした。
そんなことで、ご参加いただいた皆さんには大変な散歩だったかもしれませんが、案内する側の私としては楽しい散歩でした。
右写真は、山谷堀からみたスカイツリーです。
まだ咲き始めです。
吉原は、幕府公認の遊郭で、小説や浮世絵の題材にもなっている場所で、江戸で最も有名な場所の一つでしたので、かねて案内したいと思っていました。
しかし、現在でも「吉原」と言えば、有名なソープランド街ですので、受講者の皆さんをご案内するリスクもあるだろうと、長いこと二の足を踏んでいた地区でもあります。
そこで、今回は、下見をした際に吉原神社の宮司さんと、吉原交番に治安状況を教えていただきました。
両者の話では、「現在の吉原はまったく問題はありません。ました史跡散歩のグループとトラブルを起こしたとなれば、ソープ側で大問題になります。安心してお越しください」ということでした。
そこで昨日は安心して散歩しましたが、一人で下見をしている際には、呼び込みのお兄さんに声を何回もかけられましたが、団体で歩いている際には、一度も声をかけらませんでした。
安心して史跡散歩できる地区だと実感しました。
現在は、土手通り沿いのガソリンスタンドの前に6代目と言われる「見返り柳」が植えられています。
しかし、今の時期では、緑の葉も芽生えてなく、幹だけが植えられています。
参加者の皆さんも、ちょっとがっかりという雰囲気でした。
今回の散歩では、地元の人に、いろいろ声をかけられました。五十間道や大門で説明中に、案内に加わっていただきました。
そのため、大門でも参加者の皆さんの写真を撮り損ねてしまいました。
右写真は、吉原で唯一残っているお歯黒どぶの遺構として残っている石垣です。
吉原の郭内が一段と高くなっていて、お歯黒どぶのほうが一段低くなっていたそうです。
お歯黒どぶの跡は埋め立てられて道路となっているため、幅が広くなっている場所もありますが、ほぼ江戸時代のまま残されています。
吉原神社は、五十間道の脇にあった玄徳稲荷社、それに九郎助稲荷社など吉原の四隅にあった四つの稲荷社を明治5年になって合祀した神社です。
昭和9年に現在地に鎮座しました。その際に吉原弁財天も合祀し、現在は、浅草名所七福神の札所ともなっています。
吉原を出た後で、吉原の名妓高尾太夫のお墓がある春慶院をご案内しました。
高尾大夫は、三浦屋を代表す大夫名で、高尾太夫を名乗った遊女は7人とも11人ともいわれ諸説あり、はっきりしていない。
台東区教育員会の説明板では、仙台高尾世あるいは万治高尾といわれた二代目高尾太夫の墓とされています。
この他、江戸六地蔵のある東禅寺や待乳山聖天もご案内しましたが、ちょっと寒い陽気でしたので、5時から散歩後の飲み会です。
寒い中で歩いていたので、熱燗かと思いましたが、皆さんがまず頼んだのはビールのジョッキでした。
2時間以上飲んで騒いで楽しい時間を過ごしました。
最後にパチ!
飲み会までご参加いただいた皆さんお疲れ様でした。