先日の「浅草橋・蔵前散歩」でご案内した場所は、既にこのブログで紹介したものが多くあります。
そこで、まだ、このブログで紹介していないものについて数ヶ所ご案内しますが、今日は、「榊神社」についてご案内します。
「榊神社」は、インターネットで検索すると「第六天榊神社」として出てくる場合が多数あります。
それは、神社の鳥居脇にある社号標にも「榊神社」と刻まれていますし、東京都神社庁のHPでも「榊神社」となっています。
「第六天」という名前は、江戸時代の呼び名で、切絵図には「第六天」と書かれています。
明治になって、神仏分離令により社号を榊神社へ改称しています。
宮司さんに伺ったところでは、「江戸時代は『第六天神宮』と言っていましたが、『第六天』と『神宮』という呼び名が両方とも好ましくないと指摘された」そうです。
そこで、新社名を検討し、神社と縁の深い「榊」という名前としたそうです。
榊神社は、社伝によれば、日本武尊が勅命により東国を平定するために来た際の景行天皇40年(110)に創建したといいます。
江戸名所図会には鳥越明神社の項に次のように書かれています。
昔は第六天神・熱田明神を合せて鳥越三所明神と号(なづ)けしが、正保2年(1645)この地公用のため召し上げられ、三谷にて替へ地をたまひ、わづかに社の地ばかり残さる。その頃より熱田は三谷の地へうつし、第六天は森田町へうつせしといえへり
これによると、榊神社は、現在の鳥越神社と同じ場所に江戸時代初めまで鎮座していた後、正保4年に森田町に移ったと書いてあります。
森田町というは、浅草御蔵前に江戸時代にあった町名です。
さらに江戸名所図会の「第六天神の社」には次のように書かれています。
昔は大倉前森田町にありしを、享保4年(1719)火災の後、いまの地に移る。
つまり、享保4年(1719)に、柳橋に移りました。幕末の切絵図には、浅草橋の近くに「第六天」と描かれています。
その後、昭和3年に現在地に移転しました。
榊神社の御祭神については、江戸時代に呼ばれていた「第六天」から、織田信長が称していたという「第六天魔王」をお祀りしていると誤解している人もいるようです。
しかし、榊神社でお祀りしている神様は、面足尊(おもだるのみこと)惶根尊(かしこねのみこと)と言います。
この神様は、あまり聞きなれない神様ですが、日本神話に出てくる神様で、神世七代の第6代目の神様です。
このご祭神と「第六天魔王」とどのような関係があるのか宮司さんに聞いてみました。
すると次のような説明でした。
「榊神社が『第六天」と江戸時代に称していたのは、『神代七代の第六代目の神様』をお祀りした神社という意味であって、『第六天魔王』を祀っていたわけではない」という説明でした。
この説明を伺うまでは、何がなにやらわかりませんでしたが、宮司さんの説明で、「第六天神」の意味がよくわかりました。
やはり、インターネットの情報だけに頼るのではなく、直に聞くべき必要があると思いました。
ちなみに江戸名所図会にも
祭神は面足尊(おもだるのみこと)惶根尊(かしこねのみこと)なり。(天神六代の神)
としっかり書いてあります。


