改元理由の最後は、災害の発生による改元について書きます。
江戸時代の年号の改元理由で最も多いのが災害による改元です。
災害を理由とする江戸時代の年号は次の各年号です。
元和、慶安、万治、寛文、延宝、宝永、安永、寛政、天保、弘化、安政、万延、慶応
それでは、それぞれの改元の前に、どんな災害が起きていたか確認してみたいと思います。
元和は、慶長20年7月13日に改元していますが、その前に、4月に大坂夏の陣が起こり、5月8日に豊臣秀頼・淀君が自刃しています。「元和偃武」という言葉があるので、元和は、戦争が終了したことを祝って改元したのかと思っていましたが、大坂の陣という戦乱があったことから改元したようです。
慶安は、正保5年2月15日に改元していますが、それ以前に大きな災害が起きているわけではなく、正保が「焼亡」をイメージさせるため、慶安から正保に改元しています。
万治は、明暦4年7月23日に改元していますが、これは前年に明暦の大火が起きているためであることは、多くの方がご存知だと思います。
寛文は、万治4年4月25日に改元しています。この前の1月15日に、京都の二条家の屋敷が出火し、禁裏や多くの公家屋敷が焼失しました。このために万治から寛文に改元されています。
延宝は、寛文13年9月21日に改元されています。これは5月21日に京都で大火が起きて、禁裏のほか5000戸が焼失したため、寛文から延宝に改元されています。
宝永は、元禄17年3月13日に改元されています。これは、前年の元禄16年11月22日に関東を大地震が襲い、小田原藩などに大きな被害が起きたことによります。
元禄大地震は、今年の江戸検のお題でも重点事項の一つですので、皆さんもよく御存知だと思います。
安永は、明和9年11月16日に改元されています。この年の2月29日には、有名な目黒行人坂の大火が起きています。8月には江戸を大風が遅い永代橋が破損したりしていあます。こうした災害が多発し、明和9年が、「迷惑年」とも読むことができるため改元されました。
寛政は、天明9年1月25日に改元されています。この年の前年天明8年1月30日に京都の四条宮川町から出火し、禁裏・二条城が炎上しました。こうした災害が多発したことにより天明から寛政に改元されています。
天保は、文政13年12月10日改元されています。これは7月2日に京都でM6.5の地震が起きました。これにより文政から天保に改元されました。
弘化は、天保15年12月2日に改元されています。これは同じ年の5月10日に江戸城本丸が焼失しました。これを理由に天保から弘化に改元されました。
安政は、嘉永7年11月27日に改元されています。これは、前年6月3日にペリーが来航し、同じ年の1月16日にペリーが再来航し、さらに4月6日には京都御所より出火し上京地区が焼失しました。これらにより嘉永から安政に改元されました。
万延は、安政7年3月18日に改元されています。これは前年の10月17日に江戸城本丸が炎上したため安政から万延に改元されたと書かれています。
しかし、直前の3月3日に桜田門外の変が起きて大老井伊直弼が暗殺されたことも影響しているように私は思います。
慶応は、元治2年4月7日に改元されています。これは禁門の変とそれに伴い発生した京都大火により、元治から慶応に改元されました。
以上が災害による改元ですが、江戸時代初期の、万治⇒寛文⇒延宝と連続する3つの年号が災害を理由としていること
それに幕末において天保以降、弘化、安政、万延、慶応と5つの年号が災害を理由として改元されていて、災害を理由とした改元がやけに多いことが注目されます。
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